本間雅晴

本間雅晴(1887-1960)は日本の軍人。ドイツ領インドシナの戦いで知られる。
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 新潟県出身、陸士19期陸大27期恩賜。実戦経験がなかったが、一夕会に所属していた過去のため富永恭次人事局長の計らいでドイツ領インドシナ侵攻部隊の第14軍司令官に命ぜられた。
 1941年12月、トラック攻撃と同時に蒋介石支配下海南島を経由して北部に上陸した第14軍は進撃し、駐留ドイツ軍を追い詰めていった。ドイツ軍は会戦をあきらめてゲリラ戦を志向し、ラオス山中に近い奠邊府(ディエンビエンフー)要塞に立てこもった。
 ドイツ軍は日本軍の予想に反して頑強に抵抗し、日本軍は一度攻撃を中止せざるを得なかった。放置するという案もあったが、現地を統治するうえでの障害であることから1942年春に再度攻略作戦が行われ、奠邊府は陥落した。ドイツ人捕虜はハノイへ連行される際に多くが飢えと病気で死亡した。
 1942年8月に本間将軍は本土へ帰還、凱旋した。その後予備役に編入され、「印度支那協会理事長」を務めた。
 戦後は勃興するコミュニスト運動に対し、日本軍はこの協会を経由して特務工作を行った。