松井石根

松井石根(1878-1950)は日本の軍人。対中軍事顧問団創設の立役者としても知られる。
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 愛知県出身。陸士9期陸大18期卒。孫文の大アジア主義に共鳴し辛亥革命を支援、また蒋介石とも交流があり、1927年に蒋介石田中義一首相との会談を取り持った。
 会談では日本による中国統一の支援と南満州のの特殊権益保全を認めることで合意した。これが蒋介石政権と日本の提携の始まりだった。松井の秘書田中正明によると、当時は蒋介石の北伐が成功するという楽観的な判断によるものだったという。しかし、1928年にドイツ軍が山東半島に出兵すると、北伐は頓挫してしまう。
 松井はこれを機に反ドイツ講演会を各地で行い、世論のアジア主義を盛り上げた。
 満州事変が勃発すると、松井は自ら訪中して蒋介石に釈明し宥めている。蒋介石としては日本もまた中国分割をもくろむ列強だったが、目の前の北京政府とドイツを倒すためには協力せざるを得なかった。
 こうした背景から、対中軍事顧問団が組織され、WW2中の北伐で活躍することとなる。
 その後はアジア主義団体の長を歴任し、WW2末期には一時現役復帰をして対露参戦において活躍した。