セルゲイ・シェバリーン

セルゲイ・シェバリーン(Сергей Константинович Шебалин, 1890-1964)はロシアの軍人、エースパイロット。WW2における空軍参謀総長、のち空軍総司令官。

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セルゲイ・シェバリーン

 カザン県の貴族に生まれる。WW1では当時実用化されたばかりの発明品である飛行機を駆り、ドイツ軍機を多数撃破し聖ゲオルギー勲章を4度受けた。
 ロシア革命では白軍運動に参加。南ロシア軍の航空部隊指揮官として活躍し、モスクワ攻撃戦にも参加した。ロシア統一後、ロシア共和国ではピョートル・ウランゲリ系の軍人として知られたが、議員や州知事など政治には進まず、軍に留まり空軍の発展に尽力していた。
 戦間期には親露国家のユーゴスラビアに軍事顧問として派遣された他、アメリカ内戦を秘密裏に視察し、陸・空の共同戦術について研究を進めていた。こうした研究成果の一つが「シュトゥルモヴィーク」と呼ばれる独特の攻撃機である。
 WW2勃発時には空軍参謀総長で、ベラルーシおよびウクライナ東部への進軍を支援した。シュトゥルモヴィークは地上部隊に頼りにされ、敵方のフランス人民空軍の急降下爆撃機(Bombardier en piqué: BP機)としばしば比較されるほどの活躍を見せた。一方で戦局の悪化やインフラの崩壊で、地上の整備体制や物流が破壊され、次第に空軍は活躍の場を失っていった。シェバリーン自身は戦争後期に空軍総司令官に昇任し、デニーキン政権の崩壊と戦争終結までこれを保持している。
 日本の対露参戦でロシアは海上脱出路を失ったが、シャバリーンは敗戦後航空機を用い、側近らとともに北シベリアやカムチャツカを経由し、アラスカへ亡命した。晩年は元ロシア軍将兵らとともに、アメリカ太平洋州国(PSA)のサンフランシスコで過ごした。