ゲルハルト・ロスバッハ

パウル・ヴィルヘルム・ゲルハルト・ロスバッハ(Paul Wilhelm Gerhard Karl Roßbach、1893-1967)はドイツ帝国の軍人。ロシア白軍の「ロスバッハ軍団」で知られる。

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 ドイツ帝国ポンメルン出身。第一次世界大戦戦勝時の階級は中尉。ロシア革命ボリシェヴィキに衝撃を受け、白軍運動を支持する。ブレスト・リトフスク条約でバルト海沿岸に成立した、ドイツ帝国傀儡であるバルト公国に移り、白軍のニコライ・ニコラエヴィチ・ユーデニチ将軍とドイツ帝国軍一部部隊の提携に参加した。1919年春にユーデニチがタリンからペトログラードに進撃すると、ロスバッハは自身を指導者とする「ロスバッハ軍団」を結成し、反サンディカリスト・反コミュニストのドイツ人将兵を集めてユーデニチ軍(北西ロシア軍)に加わった。1920年春にはペトログラードが陥落し、ボリシェヴィキは一掃、ついで中央ロシアもデニーキン率いる白軍に「解放」され、ロシアの赤化は食い止められた。
 戦後もロスバッハは軍に残り、ドイツ軍とロシア白軍政権軍の提携を仲介した。戦間期において、ドイツ帝国中欧経済圏の安定と、中国北京政府など東アジア利権の確保と日本への対抗のため、ロシアとの協力関係を志向していた。しかし、全てが順風満帆ではなく、世界恐慌の対処やロシアによるさらなる経済支援の要求、ヴォルガドイツ人問題、ウクライナ問題のため、常にドイツとロシアは白軍で培った両国反組反共人士による仲介を必要としていたのだった。
 白軍はロシア革命鎮圧後の政権中核を構成していたが、ロスバッハはこのうちユーデニチの北西ロシア軍と強い関係を持っていた。この他にも、大まかに述べて白軍にはアレクサンドル・ヴァシーリエヴィチ・コルチャークの東部戦線(通称コルチャーク軍)、ロシアの国家指導者デニーキンを輩出した他、有望な政治家ピョートル・ウランゲリを抱える南ロシア軍がいた。1933年にユーデニチが病死すると、北西ロシア軍派はより一層親独的なパーヴェル・ラファエロヴィチ・ベルモント=アヴァロフ(1877-1973)が継承し、ロスバッハとの関係は強化された。
 WW2勃発でドイツ本土が枢軸軍に占領されると、ロスバッハはかつてのようにバルト公国軍ドイツ人部隊を連れてロシアのペトログラードに向かった。エーリッヒ・フォン・マンシュタインによる亡命ドイツ軍部隊「ドイツ東方軍」に参加し、ベルモント=アヴァロフ将軍の援護の下、東部戦線ではロシア軍とともに北方方面のドナウ連邦軍ポーランド軍フィンランド軍、エストニア軍、ラトビア軍、リトアニア軍の枢軸軍部隊と激突した。しかし、ペトログラード包囲を許してしまい、同市は厳寒と飢餓に耐えかねて降伏した。このためロスバッハ系ドイツ東方軍と北西軍系ロシア軍部隊は大打撃を受け、以降急速にロシア国内部での影響力を失っていく。
 戦争末期、1945年初頭にロスバッハは少数の部下と共にシベリア鉄道ウラジオストクに脱出し、北米へ逃れた。日本が中立条約を破りロシアに宣戦布告する直前のことである。
 戦後、北米の旧アメリカ・サンディカリスト国(CSA)の地に再建されたドイツ帝国領土(通称北米ドイツ)に定住し、1967年に病死した。