阿部五郎

阿部五郎(1904-1963)は日本の政治家。協和党徳島県農地解放指導委員会指導者。
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 徳島県出身。徳島県立商業学校を卒業し、門司港の荷役事務員、労働共済会の主事を経て1920年代の無産政党である労働農民党に入党した。その後弁護士資格を得、戦後は経済破綻のため機能不全に陥った徳島県において、労働者及び農民の支援を受けつつ在地有力者として成長。労働争議や小作争議の仲裁、作物拠出の調整などを指導していた。
 1960年に大日本政治会が解散し協和党政権が誕生すると、協和党徳島県農地解放指導委員会の指導者として、小作解放や不在地主の農地接収を断行した。この際、地元警察や地主の私兵との衝突もあり、党民兵である自衛隊が阿部邸を保衛していた。協和党全国指導会議メンバー。
 1963年に糖尿病による心筋梗塞のため死去。同じ徳島県を選挙区としていた協和党の三木武夫議員が追悼演説を行った。