ニック・ランド『アジアの加速帝国主義』

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概要

 ヨーロッパが本来文明の辺境である点は言うまでもない。乏しい食糧ゆえに人口は常にマルサス的限界に晒され、その人口がアジアを超えることは未だかつてない。これに対してアジアは恵まれた気候と米のために早くから豊富な人口を維持してきた。しかし、それこそがアジアの悲劇であり、ヨーロッパの未来であると著者は言う。
 古代ギリシア・ローマが発展した一時期、そして大航海時代以降、ヨーロッパは人口に対して豊富な物資を手に入れた結果、ほとんど止まらない経済成長を手にした。この経済成長が福祉の増進をもたらし、結果として人間の価値が増価した。これがすなわち自由主義や人権などの源泉であったという。これに対して、アジアは人口に対する物資が相対的に豊富ではない。そのため、一人当たりの資本は貧しく、人間の価値は低かった。
 そして現代、ヨーロッパでもアジアでも人口爆発が到来し、人々は識字化してより良い待遇を要求するようになった。これに対して、世界に存在する資源の量は人々の要求に応えられないことを著者は指摘している。この傾向が最も現れているのがアジアである。イデオロギーが対立する日本と中国が共通して若者の興農と開拓を強制しているのは、国富が過去も現在も未来も不足しているためである。両国の開拓熱によりシベリアからニューギニヤまで人類未曾有の規模で耕地化されたが、それも限界がある。さらに、農耕は身体的な負担が大きく、人々の多くはこれを望んでいない。アジアの人々はより楽でより有意義な仕事を求め、教育に熱心であるが、各国政府は彼らの望む職を分配することが不可能であること、人口規模からして食糧生産がギリギリであることから高等教育の開放を渋りがちだった。これにおける政府と人々の衝突は、2000年以降顕在化したアジア各国の学制改革の議論が証明している。
 資源が人々の要求に対して限られ、その成長も耕地面積上見込めない――こうした状況をランドは「新マルサス主義」と名付ける。不満を持つ人々に対し、政府は要領よく資源を分配しなければならない。これは敗者の存在を前提とするゼロサムゲームである。人々は当然不満を持ち、政府あるいは競争者たる人々同士で争うようになる。これに対して、国家は人為的な粛清と戦争をせざるを得ない。長年にわたる日中対立がイデオロギーだけでなく、両国による過剰人口の処理という観点を改めてランドは指摘する。この戦争はどちらかが倒れるまで続く。倒れれば、勝者はアジアの盟主としてドナウ勢力圏やフランス勢力圏などとの戦争を始めるだろう。このような、近未来に出現する帝国主義の再現を、ランドは「加速帝国主義」と呼んだ。
 アジアが資源分配における手詰まりに陥っていることは、ランドだけでなく様々な識者及び統計が証明している。この不安定な「加速的」状態が「加速帝国主義」以外の形で止揚されるかどうかは分からない。ランドは近年ヨーロッパで研究されているデジタル技術によるユビキタスが実現すれば、それが解決される可能性はなくはないと言う。ただし自身がアジアに滞在した経験からして、全アジアがこの技術を実装するのはあまりにも難儀であるらしい。また、遠い未来の話であると願うが――と著者は濁しつつ、ヨーロッパで「新マルサス主義」が到来する可能性は全くないわけではないと述べる。ヨーロッパは広大なアフリカの未開拓地とそれほど高くない白人の出生率を持つため、我々世代の存命中には有り得ないとは思いたいが、と。とにかくはっきりと言えるのは、この「新マルサス主義」的状態がヨーロッパの自由主義及び人権思想を間違いなく圧殺せしめることである。これを防ぐためには、人口増加に見合った資源増加の方法を考えなければならない。

著者紹介

ニック・ランド(1962-)
 ブリテン・コミューン出身。フランス・コミューンのカーン大学で大陸哲学を研究している。アジアに興味を持ち、中国の上海、続いて日本の東京、香港、昭南に長期間滞在したことがある。本書もこのときの経験と研究調査に基づいて書かれている。