『ドナウ連邦建国史』執筆日記 第3回

 アメリカ内戦記事の執筆が終わり(マッカーサーやロングなど人物伝が書き終わっていないが)、建国史戦間期〜WW2の設定を一通り終えて冷戦編に突入しつつある。冷戦編執筆に当たり、国家を超えた巨視的な視点から戦後世界を眺め、冷戦がどのように進展し、そして冷戦が終わる日が来るのかどうかについて考察したい。
 

全体主義はいつ終わるのか

 まず、全体主義について簡単にまとめる。全体主義とは、総力戦体制に起因する、自由や平和、民主主義に対する反動と否定である。
 そもそも、ドナウ連邦やフランスで全体主義政権が誕生したのは、WW1で総力戦を経験した世代が台頭し、あらゆるレベルで総力戦の論理――上官への服従や英雄主義など――を導入しようとしたからである。総力戦を体験したのは国民全体であったから、全体主義の台頭とともに政治は議会の密室から、国民全体へと還元されると同時に、巨大な党組織の設立と彼らの参加と階級上昇が見られた。
 簡単に例えると、議員にも資本家にもなれないただの一般人が、戦争を経験し、全体主義政党を支持することで党や準軍事組織の指導的地位に就くことができた。こうした動きは「全体主義革命」と作中で呼ばれた。全体主義革命が進行すると、全体主義政党が政権を掌握し、社会全体を全体主義へと改造していくようになった。
 しかし、こうした全体主義の夢は永遠でなかった。全体主義が総力戦体制の経験に由来する以上、戦争がなければ全体主義の記憶は時間とともに薄れていく。全体主義国家が全体主義者を再生産することもありえるが、平時の総力戦体制とは、戦時に比べて強烈さが足りない。
 全体主義はいつ終わるのか、それはWW2から2、30年後である。
 そして、第一の問題はここにある。つまり、全体主義が忘れ去られたあとのイデオロギーは何か、ということである。
 自由と民主主義が人間の本能であれば、全体主義の夢の後にはそれがやってくると考えるのが当然である。しかし、これに付け加えるとすれば、全体主義体制が革命で構築されたのに対し、自由と民主主義は革命に依らず緩やかに湧き出てくるのであれば、全体主義体制のシステムを破壊するほどの力は持たないのではないのだろうか。
 つまり、全体主義が終わっても、全体主義時代の面影はやや残るということである。例えば、史実日本における年金制度は総力戦体制の産物だが、福祉国家を支える装置でもあることからも生き残っている。全体主義の終焉が、ナチスドイツの敗戦のように暴力的革命的なものでない限り、そのまま流れるに任せて全体主義時代のシステムは残っていくのだろうと思う。
 全体主義革命が産んだシステムは福祉国家と関係するものが多いことも、その考えを支えている*1。そもそも福祉国家とは、識字率の増加に伴う医療の進歩で乳児死亡率が下がり、人間の命がより重くなったことを裏付けるシステムである。人の命が重くなれば、総力戦はより困難になる。
 建国史のWW2は核兵器を使用しなかった(開発が間に合わなかった)ので、総力戦をあともう一度ほどやる機会があるかもしれないが、識字率増加に伴う技術進歩が止まらない以上、核兵器の採用は避けられないだろう。

この冷戦は誰が勝つのか

勢力圏と識字率

 冷戦というと、ベルリンの壁ソ連崩壊が連想されるが、『ドナウ連邦建国史』において同様の展開を期待するのはやめたほうがいい。あのような自体は極端な例である。
 建国史における冷戦とは、ブロック経済と言いかえることもできる。世界はフランス、ドナウ、日本、新大陸*2分割され、勢力圏の盟主が安全保障だけでなく、金融や貿易などを統制する。人の移動も勢力圏を超えるものは稀になる。勢力圏によって兵力や資源などの差はあるが、最も注目すべきは識字率である。
 識字率は教育レベルや技術、そして経済と一説に関わっていることを論じた一人はフランスの人口学者エマニュエル・トッドであるが、建国史における長期的な経済観の多くは国民経済学的なトッドの研究に寄っている。
 大雑把にトッドの研究を引用すると、識字率を高める力は伝統家族の文化的形態に由来し、例えばドイツ人やロシア人、日本人、中国人、朝鮮人などが特に識字率が高く、伸びが急激だという。逆に低くて緩やかなのは、フランスやアングロサクソンなどである。
 識字率の高い民族は技術の向上と製造業を中心とする経済の拡大をもたらす。19世紀のアメリカは、ドイツ人を移民に受け入れることで一時的に急激な識字率の上昇を経験し、保護貿易で時刻産業を保護することで、イギリスを超える経済大国へと変化した。
 これら識字率についての理論を建国史の冷戦に適用すると、まず、各勢力圏は識字率によってグループ分けできるがわかる。

・冷戦開始時の識字率の高低は以下の通り(盟主の同盟国や傀儡などを含む)
ソ連、ドナウ、フランス>アメリカ>オーストララシア>日本
・冷戦時代における識字率上昇の急緩(カッコ内は識字率が急増する具体的地域)
日本(東南アジア、中国)>ソ連カフカス中央アジア)>アメリカ(ラテンアメリカ)>ドナウ、フランス、オーストララシア

 ただし、アフリカを含めるならばドナウとフランス勢力圏の識字率も急激に上昇する場合がある。ただ、ブラックアフリカが対等な人間として取り込まれるのは難しく、また識字率がヨーロッパ並に上がる時期は遠い未来だろう。もちろん、識字率増加は必ずしもいいことばかりではなく、とりわけその伸びが急な場合、著しい世代間対立と不安定な政治を生みかねない。史実の東南アジアは激動の冷戦時代を歩んだ。
 冷戦とは勢力圏間における人的移動の制限であるので、技術は各勢力圏で独立して発展することとなる。国際緊張が続き軍産複合体が巨大であれば、軍事機密もあり新技術はなかなか表に出てこないだろう。史実のインターネットがいい例である。
 こうなると、識字率が低く、また増加しない勢力圏では技術レベルが停滞する。オーストララシアがまさにそれである。北米諸国もWW2のドイツ系難民のため特に北米ドイツは大きな技術躍進を経験するが、それ以外はあまり芳しくない。ラテンアメリカいおける識字率向上のスピードはとても緩やかであるからだ。フランスも比較的不利だが、勢力圏内のノルウェー、西部ドイツ、アイルランドスコットランド識字率は高い。
 比較的有利なのはドナウ、ソ連、日本である。ただし、ドナウ勢力圏内にあるアラブ連邦は、もともと識字率が低く、その上昇もラテンアメリカ以上に遅く、ドナウの足を引っ張るだろう。ソ連カフカス中央アジアなどの同じくイスラム圏の一部が同様である。日本はモンゴルやインドなどを除けば全体的に有望である。しかし、日本は東南アジアと中国の急激な識字率向上による混乱に耐えねばならず、欧米の援助がないなか自力で技術開発をせねばならない。識字率が高くても、欧米に比べて遅れて近代化を果たしたギャップは無視できない。
 このように、識字率という視点から見ると、どの勢力も一長一短はある。もちろん、識字率がすべてを決めるわけではなく、識字率増加に伴う政治的混乱も考慮せねばならない。

官僚制度

 全体主義とは高度な連帯であり、福祉である。これを支えるのは党であれ国であれ、官僚的な形へと至る。実際、史実でも冷戦時代は文書国家の最盛期だった。巨大な官僚制を維持するには大量の文書が不可欠である。そして、官僚制は非効率であることも認めなければならない。史実のソ連崩壊において語られた「お役所的非効率」はこれに由来している。
 全体主義革命は、産業化と中産階級勃興の過渡期というタイミングにしても、そしてその目的にしても巨大な官僚制を産むことは不可避である。
 トッドの研究を再び引用すると、官僚制を含む上下関係を持つあらゆる組織もまた、伝統的な家族の形に由来して効率性が変化するという。結論のみ述べると、ドイツ、ロシア、日本、中国、朝鮮は縦型の組織に優れている。逆にそれ以外の民族は、東南アジアといった識字率が急増する民族でも優れていない。必ずしも識字率が高い=縦型の組織に優れているわけではない、ということである。
 とはいえ、以上の縦型の組織に優れた民族による官僚制は、比較的効率的というだけであり全能ではない。
 また、国家があらゆるものを官僚制を持って処理するということは、失敗の責任を国家が追うということを意味する。失政は政治の本質であり、それが重なれば官僚制は批難され、解体される。
 民営化は官僚制に対する一つの解答だが、これは単に責任を曖昧にしているだけに過ぎず、全体主義革命以前に戻ることを意味している。民営化とレッセフェールが単なる寡占だけでなく、技術と社会の停滞をもたらすことは、もはや肯定せざるを得ない。
 建国史の世界が官僚制を素直に民営化するか、それとも民営化で痛い目を見てこれを止揚するか、民営化を経ずに使用するかは議論の余地がある。
 筆者たる私は、知識人の筆がもたらす可能性を楽観的に信じているので、三番目の未来、すなわちある哲学者や理論家が事前に民営化以外の解決策を示し、これを実行するとしてストーリーを書いていきたい。そのときこそ、全体主義がただの反動から一つの完成された世界観へと飛翔するときであろう。そもそも、全体主義革命を理論的に支えた資本主義や自由主義などに欠陥があることは、史実の歴史が証明している。これを血をもって倒した複数の勢力圏すべてが、革命の成果をリセットして革命前に戻るということは現実的ではない。フランス革命が産んだ国民国家も、ロシア革命が産んだ年金制度も現に、革命が終わったあとも残っているのである。
 以上の予想を総合すると、冷戦自体は終焉せず、勢力圏ごとに発展の差はあれ、史実のソ連崩壊のような結果には至らない、ということになる。これはあくまでも一つの予想であるので絶対ではないが、ありえる歴史の一つであろう。

*1:ただ、これに関しては史実において全体主義識字率の高いドイツやロシアで発展したことにも由来している。識字率については次の章で述べる。

*2:その後オーストララシアやソ連などが分離する