大東亜連盟の機構

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 大東亜連盟とは、1943年の大東亜会議をきっかけにWW2後発足した、大東亜共栄圏内の国際組織である。なお、冷戦時代以降「国際組織」とは世界を分割したブロック圏内の国々を超えたブロック組織を意味するようになり、本来の国際組織であった世界レベルでの組織は「圏際組織」と呼ぶようになった。大東亜連盟は国際組織であり、また大東亜共栄圏とはあくまで地域名である。

 大東亜連盟は計画的に加盟国の経済・人口政策を指導しているにも関わらず、議会に当たるような機関は公式には存在しない。東京は首脳会談から水面下の様々なルートによる「内面指導」まで手広く行うが、名目上は加盟国の主権を擁護しているためである。基本的に定例会談である大東亜会議までに水面下で意思統一がなされ、それを大東亜会議で首脳同士が確認・合意し、これを踏まえて専門機関が設立される。

予算

 大東亜連盟の名の下の各機関に対する各国の予算分担は明文化されておらず、その都度調整されるため不透明な部分が多い。これは大東亜共栄圏内の国際事業が事実上日本の戦略的特務工作と紙一重となっているだけでなく、円ブロックにおける歪な通貨構造による影響も指摘されている。また、予算分担が圏内貿易における帳簿上の円債務バーター化の都合の良い手段に利用されている可能性がある。会計検査院に当たる機関は存在せず、これがより資金の不透明性に関する疑念を強めている。

批判

 大東亜連盟に対しては先ほどの予算に関する問題点だけでなく、様々な批判がなされている。赤化革命後の中国は帝国主義論を援用して大東亜共栄圏を批判し、大東亜連盟を「日本帝国主義による監獄機関」と呼んだ。首相を経験した田中角栄は非公式の場で「宗主国支配なら帝国の民族共生*1も中国の民族団結もお互い様だ」と自嘲交じりに述べたという。
 また、大東亜連盟は特に経済・人口食糧政策において加盟国の主権に介入的であり、中国の蒋介石政権が日本に反発した理由もこれに当たった。また、インドネシアのように中国に接近する国も現れた。
 

会議及び機関一覧

大東亜会議

 定期的に行われる大東亜連盟加盟国首脳による国際会議。大東亜連盟を統率する議会的な組織ではなく、あくまで大東亜共栄圏内の指導性と路線を確認するための外交会談としての性格が強く、大東亜連盟諸機関を具体的に命令する法令を出す機能はない。以下に述べる大東亜連盟の諸機関は、形式上はもっぱら機関を構成する委員などによって独断的に運営することができる不安定な性質があるが、これを為し得ているのは各機関のメンバーに日本臣民が多く、日本帝国内部から事実上の統制がなされていることを裏付けている。
第一回(1943年):会場は東京。「アジアの独立宣言」である「大東亜宣言」が発表された。
第二回(1947年):インドネシア問題と大東亜連盟設立について議論された。
第三回():

大東亜経済会議

 毎年秋に行われる閣僚級会議で、圏内経済の生産計画や調整、統一規格の設定だけでなく人口政策も取り扱う。会議及びその事務機関には各国から経済官僚が出向してきているが、その国籍の内訳はアジア統制経済の発祥地日本が最多であり次に満洲国が多い。
 会議は毎年各国輪番で開催されるが、事務機関は日本の福岡、釜山、昭南に集中している。これは同地が圏内貿易の主要港湾であるためである。指導下の機関は以下の通り。
東亜鉄工委員会
大東亜石炭委員会
東亜石油委員会:

 圏内の産油調整を指導する。発足時は委員のほとんどを日本人が占め、スカルノ時代の産油国インドネシアは不利な立場で指図される形となった。このため両国の対立の火種となり、赤化中国が唱える帝国主義論に触発されたインドネシアが中国へ接近する遠因ともなった。 
大東亜機械委員会:
 生産機械の製造と輸出入の調整を担当。大東亜共栄圏は慢性的な生産機械不足と日本への集中的な機械産業の立地という問題を抱えている。そのため、日本は過酷な機械輸出ノルマを割り当てられて国内の生産機械不足を生み、その結果として資本集約型産業発達の遅れ労働集約型産業の発達、それによる外国人労働者の大規模受け入れと傾斜せしめた。南方含む各国での機械生産工業への投資を提言している。また、自動車産業とトラクター産業もここが担当している。
大東亜化学委員会
大東亜貿易委員会
大東亜通貨委員会:

 各国の通貨政策と金融政策を扱う。基本的には大東亜経済会議の意向に従っているため、各国は野心的な経済計画によるインフレ圧力の火消しのため消費財の制限と配給システムを導入せざる得ず、本来の通貨・金融政策の目的であるインフレ抑止はおざなりとなっている。実際の任務として、大東亜共栄圏各国の円ペッグ制導入の指導や、各国間の金準備量の調整を行っている。
その他複数委員会あり。

大東亜人口食糧会議

 大東亜共栄圏における人口政策を司り、長期的な人口計画策定とその勧告を加盟国に行っている。本来大東亜経済会議の一機関に過ぎなかったが、止まらない人口爆発と逼迫する食糧戦から人口・農業政策を一括して指導する必要が浮かび独立した機関となった。事務局は台湾にある。
 大東亜経済会議の策定した各国の分業及び貿易計画と連動して、それに必要な人口を補うべき移民計画を立て、大東亜共栄圏各国が加盟している移民手続き簡素化協定の「バンコク協定」に基づき各国へそれを勧告している。各国いずれも人口爆発に悩まされているため、移民計画は事実上の必要なノルマであると考えることもできる。また、移民計画の一方で大東亜共栄圏全体での食糧自給を達成するため、各国に事実上の食糧生産ノルマを課している。移民計画と食糧計画をもって各国の産業構造と人口を大まかにコントロールすることができる。
 これに加えて、戦争や飢饉における住民の強制移住計画を策定することもある。この場合特に加盟国の主権を侵害するので反発が大きいが、大抵の場合は前線での日本軍の援護によるものか、加盟国が事実上破綻している場合になされる最終手段である。
大東亜農業委員会
大東亜水産委員会:

 加盟国間の漁場割当に関する紛争をしばしば取り扱う。
大東亜林業委員会
 

大東亜刑事警察会議

 ウィーンに本部を置く国際刑事警察委員会(ICPC)を参考に創設された。各国刑事警察の情報共有を目的としている小規模な組織であり、一国一代表制のICPCにオブザーバー参加している。

大東亜文化院

 最初は国際的な研究事業の拠点として始まったが、その後徐々に規模は拡大していき、分野ごと研究者が集まる各会議だけでなくアジア各地に研究所や図書館を持つ巨大組織に変貌した。大東亜文化院とその会議は、あくまで指導機関ではなく国際的な交流の場として機能している。
大東亜翻訳・出版局:
 文化院以外を含む事務局や会議の翻訳を行っている。各国各都市に事務所があり、個人でも有料で翻訳業務を頼むことができる。
大東亜気象局:
 大東亜共栄圏における各国気象機関の国際組織。
大東亜地震津波司令部:
 各国気象機関と連携して常時地震を監視し、津波の際は警報を発令している。設立は比較的遅い1978年で、直接的なきっかけは1972年のミンダナオ島地震と1977年のバリ島地震で数千人の死者を出した事件である。「司令部」とあるのは当時日本など主体主義政権で流行していた命名法による。したがって司令部員は武官でもなく軍隊式階級制度もない。24時間体制で小規模地震を含むあらゆる地殻変動を中継報告する短波放送「地震消息通報」を送信している。
東亜優生学会:
 数ある学会のうちの一つで、とりわけ日本の人種政策のため政治的に重要とみなされている。日本は東京人種民族研究所*2をはじめとして、アジアの優生学において指導的立場に立っている。
大東亜歴史学会:
 アジア各国から歴史学者が集まり成果を報告したり共同研究を組織したりしている。主体維新体制では日本主導の歴史工作の舞台となり、江上波夫騎馬民族征服王朝説に基づき日鮮満同祖論研究が行われた。
その他各学会あり。

大東亜逓信会議

 日本を含む大東亜連盟加盟国は枢軸国とともにWW2において万国郵便連合を脱退し、戦後万国郵便連合をアジアにおいて補完する目的で設立した。ちなみに、戦後万国郵便連合スウェーデンにて再建された際、大東亜逓信会議はそれ自体が1948年に加盟している。すなわち、本来一国一代表であるべき圏際機関に対し、一ブロックの複数国が一代表として加盟した点で、世界を勢力圏で分割した冷戦時代の幕開けを象徴する出来事となった。
 任務の範囲は万国郵便連合と微妙に異なり、大東亜逓信会議は郵便だけでなく電話や放送などといった通信も取り扱う。また、近年ではドメイン割当といったインターネットに関する業務も担当するようになった。
 

大東亜交通会議

 圏内の民間旅客航空、旅客海運の調整をするために発足した。
 

*1:主体維新体制の日本で用いられた他民族支配の理論。ソ連民族自決とは異なり少数民族への主権委譲がなされなかったが、これは中国の民族団結も同様だった。

*2:1947年に厚生省研究所人口民族部が独立して誕生。