アメリカ内戦

アメリカ内戦とは、1937年から1946年にかけて北アメリカで行われた一連の争乱である。これにより各陣営合計約3000万人が死亡した。

  • 前史
    • 世界恐慌
    • ダストボウル
    • ボーナスアーミー事件
    • 内戦直前の政治情勢
  • 内戦の経過
    • 1936-37年 大統領選挙と内戦勃発
    • 1937-1938年 テロル戦
    • 1939年-1940年 合衆国最後の日
      • テーラン・ヴァイス作戦
      • さらなる泥沼化
    • 1941−1942 南北対決
      • 鉄の嵐作戦
      • イギリス参戦
    • 1943−1944 戦局転換の予兆
      • CSA、守勢へ
      • 長いナイフの夜
    • 1945‐1946年 勝者なき終戦
      • ドイツ軍上陸
      • 戦争終結、秩序再編
  • 内戦の影響
    • 犠牲者と人口移動
      • サミュエル・モリソンによる研究
  • 各勢力の解説

f:id:kodai795:20200425145359j:plainf:id:kodai795:20200425145410j:plain
左:AUS軍装甲部隊 右:捕虜となったCSA軍兵士
f:id:kodai795:20200425145651j:plainf:id:kodai795:20200425145627j:plain
左:ニューオーリンズ駅のプロパガンダ壁画 右:サンディカリスト民兵

続きを読む

反帝協定

反帝協定とは、フランスとドナウを現加盟国とする反帝国主義の国際的連帯を謳った条約網である。日本において批准した際は「帝国主義ニ対スル協定及附属議定書」と名付けられた。
f:id:kodai795:20200307222732p:plain

  • 歴史
  • 加盟国
続きを読む

『ドナウ連邦建国史』執筆日記 第2回

前回はこちら:
donau.hatenablog.com

お題箱に来た質問の回答を中心に書いていきます。
お題箱はこちら:https://odaibako.net/u/Donaufedebot

ところで、最近FFである「いち」氏(ichi_kun_12_)が『ドナウ連邦建国史』に着想を得たmodを作っているようで、毎回チェックしている(連邦保安省監視対象ブログ)。
ichi1223.hatenablog.com

mod開発に追いつかれぬよう設定しなければ。ドナウ連邦、すなわちハンガリーオーストリアチェコスロバキアなどの公団はまあググれば分かるとして、将軍やとりわけ経済官僚の設定は不可欠だな……。
特に将軍の設定はかなり時間がかかる。

f:id:kodai795:20200304215754p:plain
各軍、軍集団の将軍と参謀長の設定の様子。

f:id:kodai795:20200304220106p:plain
将軍のデータ集。史実から引っ張ってきているので、どうしてもチェコスロバキア軍由来やハンガリー軍由来が多くなる。

また、建国史では人物の現地語表記を省くことがあるので、特にポートレート写真の検索に不便があることもあり得る。この場合はお題箱へご一報どうぞ。個別の人物から建国史人物データ全体まで提供可能なので。

Q.ドナウ連邦には海軍が無いのでしょうか
A.あるはあるけど、戦間期においては航空母艦や戦艦などの大型艦は存在しない。WW2はフランス海軍の助けを借りつつ、潜水艦主体で頑張るしかない。戦後はイタリア社会共和国海軍の協力で大国盟主に似合う規模まで拡大した。

Q.第二次世界大戦における各国の海軍やシーパワーの変化についての記述があれば教えてください
A.戦間期1921年のワシントン海軍条約が米英日独伊において締結され、だいたい英=独>日米伊という形になった。冷戦期は日本とカナダの英独残党が一番強そう。

Q.人物botツイートのみの場合と、ツイートとブログ記事の両方に載っている人物の違い
A.tweet botは700ツイートまでしか登録できないので、いざというときの場合削除しても惜しくない小物の人物は、ブログ記事ではなくツイートのみにしている。ただし、建国史執筆当初のbotツイートはこの限りではない。

Q.1962年のウィーンの春とは?
A.手短に話すとこう;
・まず前提として、WW2でドナウ連邦は巨大な植民地と経済圏を得て、これに伴う利権ができたり、植民地建設のための生産財傾斜生産による物不足が起きていた
・植民地と経済圏の維持のため、連邦保安省や連邦軍、国民衛兵隊などが巨大化した
・WW2時の中堅幹部を中心に、国政に進出して世代交代を試みるグループが現れた
・このグループで有名なのは「保安省閥」であり、1956年にアルトゥール・ザイス=インクヴァルト連邦保安大臣を失脚させ、さらにはグロス・エンドレ大統領も辞任させ、後任大統領を据えた
・この結果、武力によるクーデター政権を奪い各組織の利権を守る風潮が生まれ、連邦保安省や連邦軍、国民衛兵隊はマフィア抗争のように武装し銃を向けあうようになった
・折からの物不足と、さらなる政治参加を求める世論、さらに新たな独裁者候補(複数)とその支持者、大学進学率の増加もあり不満は爆発
・デモが連日起き、この混乱に乗じて政権側の連邦保安省と、政権を伺う連邦軍が対決する
――という話。結構長くなってしまった。結果としては保安省閥が敗北する予定なのだが、保安省閥の一人でありリビア植民地の支配者マティアス・ラーコシがウィーンに反旗を翻し、連邦空軍がリビア空爆するという展開とか熱くていいよね。

ちなみに、今月は何とかアメリカ内戦史にけりをつけたいと思います(できるとは言っていない)。

アンドリャ・アルトゥコヴィチ

アンドリャ・アルトゥコヴィチ(Andrija Artuković、1899-1988)はクロアチアの政治家、クロアチア保護領内務大臣、国璽尚書

f:id:kodai795:20200304045020p:plainf:id:kodai795:20200304045033j:plain
右はクロアチア保護領議会での演説中(1942年)

続きを読む