ヴェコスラヴ・ルブリッチ

ヴェコスラヴ・ルブリッチ (Vjekoslav Luburić、1913-1969)はドナウ連邦とクロアチアの保安指導者、クロアチアにおける収容所総監。
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 ウスタシャに参加していたが、1932年にウスタシャが一斉検挙されるとドナウ連邦に亡命した。このときドナウ社会主義労農党に入党、さらに連邦保安省に入省する。
 WW2でクロアチア保護領が成立するとクロアチア社会主義労農党にも入党、ローゼッカ大統領から「クロアチアにおける収容所総監」に任命され、各地に強制収容所を建設、これを管理した。
 ルブリッチはクロアチアにおけるドナウ戦争経済への奉仕や、児童収容所を含む一連のセルビア人虐殺に責任を負っているという。

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 戦後クロアチアはパヴェリッチが暗殺されるなど政治的混乱が起こったが、ルブリッチは連邦保安省経済局とのコネを背景に生き残った。クロアチアが本国に併合されると、数々の公団の指導者となり政府の支援の下に特権を享受した。しかし、1962年の「ウィーンの春」以降は政権から保安省閥が消えたため経営状況が悪化していたという。1969年に交通事故死。