Historia Donaufederaiha

民族、言語、国境。

『ドナウ連邦建国史』世界線の世界地図

ツイッターにあげたところ反響があったので、はてなブログにもうpしておきます。

世界地図(1936年)

この世界線のそもそものきっかけである「ドイツ帝国の戦勝」「ドナウ連邦の成立」「フランス・コミューンの誕生」やそれに伴う講和条約などを反映した地図。
f:id:kodai795:20181123103612p:plain

基本的に旧フランス植民地帝国はアルジェリアを除き解体され、ほとんどをドイツ帝国が継承した(ルクセンブルク講和条約)。
イギリスに関しては、独領南西アフリカと独領東アフリカの間にあるイギリス領北ローデシアをドイツが割譲し、カプリビ回廊を南緯20度まで拡張した(シャルレッテンブルク講和条約)。
フランスに比べてイギリスには比較的穏当な講和になった。
ロシア帝国はブレストリトフスク条約によりウクライナ白ロシアフィンランドポーランドリトアニアなどが独立した。いわゆるラトビアエストニアは「バルト公国」としてドイツ帝国の本土となった。この地域にはドイツ人貴族が古くから住んでいる。
かつて二重帝国があった中欧には「ドナウ連邦」が成立した。ドナウ連邦は旧二重帝国のオーストリアボヘミアモラビアスロベニアスロバキア、小ハンガリーを領土としている。
旧二重帝国のクロアチアボスニアヘルツェゴビナ、ヴォイヴォディナはユーゴスラビアに、トランシルヴァニアルーマニアに、ガリツィア・ロドメリアはポーランドが占領し、領土とした。

世界地図(1946年)

WW2の終結により世界は一変し、新たな戦後体制が構築された。

f:id:kodai795:20180920202030p:plain

ヨーロッパ

f:id:kodai795:20180920202706p:plain

ヨーロッパではフラコミュ曰く「帝国主義戦争煽動国」たるドイツ帝国大英帝国、ロシア共和国は消滅した。
ドイツ帝国においては、南はドナウ連邦(赤)に併合、ライン川以西はフラコミュの占領下(灰色)におかれ、ザールラントやルクセンブルクなどはフラコミュ本国に併合された。


ライン川より東隣にはフラコミュの傀儡として北からハンブルク・オルテ、ハーノヴァー・オルテ、ヘッセンナッサウ・オルテ*1の三国が存在するが、1957年に統合して西ドイツとなるため、ここでは省略している(水色)。


オーデル=ナイセ線以東のドイツ人地域はポーランドリトアニアに併合された。この地域に住んでいたドイツ人はノイプロイセン(後述)をはじめとするドナウ連邦の植民地やトランシルヴァニアなどへ強制移住された。ドイツ人がいなくなったその地域には、ポーランド人とリトアニア人が新たに入植した。


オーデル=ナイセ線以西にはドナウ連邦の傀儡として東ドイツ(オレンジ色)が建国された。


フラコミュはドイツのほかにも、ロマンディ(スイスのフランス語話者地域)、ワロニア、アオスタ渓谷(イタリアのフランス語話者地域)を併合し、領土を巨大化させた。ワロニアに関してはフランス語とよく似た言語を話しつつも、民族的にフランス人であることを拒むワロニア人が住んでいる。
ワロニアの北、旧ベルギー北部のフランデレンはフランデレン・ヘメーンテ*2(黄色)として独立した。
WW2を機に起こったサンディカリズム革命により打倒された旧オランダ王国本土の上に立つのは、バタヴィアヘメーンテ(オレンジ色)である。バタヴィアはフランデレンの併合を要求しているが、フランデレン人はオランダ語と似た言語を話しながら独立志向が強く、併合は困難の途上にある。


南欧においては、ユーゴスラビアが解体されてクロアチア(青色)とセルビア(灰色)に分裂し、その混乱に乗じヴォイヴォディナはドナウ連邦が、コソヴォアルバニア(紫色)が、マケドニアブルガリア(緑色)が併合した。
クロアチア全体主義国家としてドナウ連邦の隊伍に加わったが、WW1とWW2のきっかけをつくったセルビアに対し、ドナウ連邦は懲罰として事実上の植民地とした。セルビアは独立国家としての体を失い、ドナウ連邦による激しい収奪に苦しんでいる。
その他、セルビア南西にあるモンテネグロの港であるコトル湾をドナウ連邦は併合した。


WW2においてドイツ帝国側についたオスマン帝国は崩壊し、枢軸側についた戦勝国ギリシャ(水色)はトラキアイスタンブールのほかにイズミル周辺の領土を得た。旧オスマン帝国クルド人地域はクルド(緑色)、アラブ人はアラブ連邦(肌色)として独立したが、政情は極めて不安定である。


北欧においては、ロシア共和国の崩壊に乗じてフィンランド(白色)がカレリアと呼ばれるフィンランド人の神話的故郷を得るに至った。サンディカリスト国家デンマークコムーネはドイツとの領土係争地であったシュレーズヴィヒ・ホルシュタインハンブルク・オルテから割譲した。


イギリス本土(ピンク色)は敗戦による分割は免れたが、北アイルランドアイルランド・コミューン*3(緑色)に併合された。北アイルランドのイギリス人は、「ジャガイモ飢饉」をはじめとするアイルランドの歴史的背景による虐待を受け、反政府テロ組織が活発に興っている。WW2の混乱で生まれたアイルランド・コミューン政府は不安定であるため、これらテロ組織のコントロールができていない。


WW2においてドイツ帝国の同盟国として参戦したロシア共和国は、既にサンディカリスト革命を経験したウクライナ・ラーダ(水色)と白ロシア・ラーダ(肌色)を主力とする枢軸国に押され、ついにはロシア北西で発生した共産主義者の蜂起により瓦解した。ロシアは共産主義国家としてロシア・ソビエトに生まれ変わった(赤色)*4ウクライナ白ロシアはWW2の結果として領土を拡大させ、自国にロシア人が多数混住する事態を生み出した。二国の民族政策の解決は喫緊の課題である。


ドイツ帝国バルト公国はエストニア(水色)とラトビア(土色)として独立した。
エストニアラトビアの概史はいまだ未設定で、ロシア側付くか、フラコミュ側に付くかさえ決めていません。


WW2の敗戦国であるイタリア*5(緑色)はアオスタ渓谷のほかに、ドイツ人が多数住むチロル地方がドナウに併合された。ドナウ連邦は戦後イタリアとの平和的な関係を志向したため、チロルで厳格な住民投票を実行しチロルのイタリア人地域はイタリアに残した。また、イタリアは旧イギリス領土だったマルタ島を戦後処理の過程で得るに至った。


北アフリカにおいては、旧ドイツ帝国の宗主権にあったモロッコ王国(肌色)が独立し、イギリスの傀儡だったエジプト王国(肌色)は完全独立を果たした。イタリアの植民地だったリビアはドナウ連邦に引き渡され、オーデル=ナイセ以東のドイツ人をはじめとし、イタリアやドナウ本国などから広く入植者を受け付けている。リビア南部に広がる地域(黄色)についてはアフリカの項で述べる。

アフリカ

f:id:kodai795:20180920212324p:plain

アフリカにおいては旧イギリス植民地はドナウ連邦へ、旧ドイツ植民地はフラコミュへ引き渡された。


アフリカの植民地開発と入植に最も積極的だったドナウ連邦は、スーダンからリビア南部にかけて原住民保護地として東アフリカ社会連邦(黄色)という傀儡国家を設けた。ナイル川上流と旧英領・独領東アフリカにそれぞれニールスマルク*6(灰色)とノイプロイセン*7(黒色)がドナウ連邦により設置された。この二つは当初あくまでも東アフリカ社会連邦を構成する領邦に過ぎなかったが、その後ドナウ連邦内部の政争によりウィーンの威信が揺らぐと、ノイプロイセンは独立宣言をし正式に主権国家となった。一方ニールスマルクは東アフリカ社会連邦を脱しなかった。


WW2当時の南アフリカ(オレンジ色)はアフリカーナーと呼ばれるオランダ系住民の民族主義が興り、アフリカーナーの反英感情からWW2には参戦しなかった。英連邦崩壊とともにWW2の終結を迎えた南アフリカは英連邦植民地であるベチュアナランド、南ローデシアを併合、瓦解していたドイツ帝国植民地である南西アフリカと、WW1で奪われた北ローデシアニヤサランドを奪還した。


当時は黒人の人権が顧みられず、南アフリカ、ニールスマルク、ノイプロイセンでは積極的な黒人排斥と白人優位政策が行われた。特にノイプロイセンでは終戦直後の混乱期にかけて、ドナウ連邦保安省部隊と凡プロイセン同盟民族防衛隊*8による黒人絶滅作戦が行われた。黒人絶滅作戦の実態が明らかになるにつれ、フラコミュをはじめとするサンディカリスト国家や新大陸に逃れた自由主義諸国などの怒りを買うことになった。


ノイプロイセンの傀儡としてソマリ人で構成されるソマリ社会共和国(薄緑色)とアザニア社会共和国(緑色)、ザンジバル王国、マサイ社会共和国が設置された。地図においてザンジバルとマサイは省略している。


このほかに、ドナウ連邦は旧イギリス領のナイジェリア、ガーナ、ガンビアを得た。これらは入植対象とはならず、すみやかに全体主義国家として独立した。


WW2前にイタリアの侵略に晒されたエチオピア帝国はドナウ連邦の支援により復活した。エチオピアはどの陣営に付くかを決めかねており、エチオピア帝国内では日本帝国派とドナウ連邦派に分かれている。


フランス・コミューンはドナウ式の一方的な収奪と入植は選ばなかった。フラコミュは1946年に早くもパリ・インターナショナル・アフリカ支部*9を開設、同年レオン・ブルム首相がアフリカの独立を約束し、フラコミュが得たアフリカ植民地は速やかにサンディカリスト国家として独立することになった。しかし、ドイツ人入植者が多数住む旧ドイツ領コンゴでは独立は先延ばしにされ、それに対する原住民の不満から後のコンゴ動乱が発生することとなる。


リベリア(黄緑)は独立を保ち、旧イギリスやドイツなどの北米に逃れた敗戦国とも関係を保ち続けた。


全体主義的な傾向が強いポルトガルは、モザンビークアンゴラギニアビザウなどの植民地を手放すつもりはなかった。一方、左派的なスペイン共和国は植民地を経営する能力がなく、スペイン領モロッコ、スペイン領コンゴなどの独立は時間の問題と見られた。


大西洋の旧イギリス領の孤島はすべてカナダに逃れた大英帝国亡命政府が継承した。

北米

f:id:kodai795:20180920215931p:plain

1936年に勃発したアメリカ内戦はその10年後の1946年まで続いた。アメリカ合衆国アメリカ・サンディカリスト連合、アメリカ連合の三つ巴の戦いを制したのはアメリカ連合(赤色)だった。しかし、内戦の混乱に付け込まれ、ヨーロッパで領土を失ったイギリス帝国(茶色)はニューイングランドを、ドイツ帝国(紫色)はアメリカ・サンディカリスト連合が支配した五大湖の工業地帯を占拠し、併合した。西海岸では旧合衆国派が結成したアメリカ太平洋州国(黄色)が誕生した。このほかにも、カナダからはケベック(水色)とニューファンドランド(抹茶色)が独立した。ケベックはフランス系でありながら猛烈な反サンディカリズムを掲げ、イギリス帝国とは穏当な関係を築いている。また、アメリカ連合内部のテキサス州は事実上独立状態にある。


内戦によりかつてアメリカが支配した中南米の傀儡国家は独立した。この国々をめぐる火種が、敗戦国であるイギリス、ドイツ、アメリカ連合などの協力を阻んでいる。これらの旧帝国諸国の存在は講和条約によりフラコミュ、ドナウにも認められた。新大陸を敗戦国へ、旧大陸戦勝国へと世界を分割したのである。

中南米

f:id:kodai795:20180920221100p:plain

中南米に関しては設定不足なのでほとんど情報がなく、またころころと変わるかもしれません。Kaiserreichの設定をコピーするにもKaiserreichの中南米史はいい加減であることに定評があるので、時間はまだまだかかるでしょう。

中南米においては、ドイツとイギリスは植民地を維持している。またフラコミュに滅ぼされたオランダの植民地はドイツが併合した。パナマ運河はドイツが継承している。ハワイ諸島は日本軍の猛攻に陥落、併合された。


東太平洋において、旧イギリス植民地はオーストラリアが引き継いで統治している。オーストラリアはイギリス側に付いてWW2を戦った。

中東・南アジア

f:id:kodai795:20180920221628p:plain

アラビア半島は旧オスマン帝国のアラブ連合と、サウジアラビア、イエメン、オマーンカタールなどがある。インドは独立した。これらの第三世界諸国は政情が不安定である他、フラコミュ、ドナウ、日本、ロシア、北米諸国などのイデオロギー戦争の舞台として、激しく血が流されることとなる。


旧イギリス領のモルディブはドナウ連邦が、その南にあるチャゴス諸島などと、さらにアンダマン・ニコバル諸島は日本帝国が得た。

東アジア・オセアニア

f:id:kodai795:20180920222442p:plain

日本帝国(灰色)はWW2によるイギリスとドイツの崩壊に便乗し、最も反君主制的なフラコミュが率いる枢軸の一員として参戦した。そこで満州国(黄色)、ベトナム帝国(茶色)、タイ王国(青色)、ビルマ国(黄色)、フィリピン共和国(ピンク色)、そしてインドネシア、マレー、昭南島などで構成される大東亜共栄圏を建設した。しかし戦争終結直後、インドネシア独立運動が爆発したためジャワ島とスマトラ島インドネシア(薄ピンク色)として独立するに至った。また、ベトナム帝国においてはカンボジア人、ラーオ人などの民族が独立を要求し、領土の分割独立も視野に検討されている。


WW2での南太平洋での戦いでは、結局日本はニューギニアビスマルク諸島を陥落させることができず、ドイツ帝国パラオ諸島などの北太平洋の諸島を日本に割譲させることで事なきを得た。オーストラリアは領土の防衛に成功した。


一方、フラコミュとドナウ連邦とともにロシア共和国に攻め込んだ日本は、結果として東シベリアにシベリア共和国(薄緑色)を得た。シベリア共和国は戦争末期にサンディカリズムに対する恐怖から日本側へ逃れた旧ロシア共和国関係者が多く、ソビエトからの工作もあって政情は不安定である。


中国に関しては設定構築中。だいたい、ドイツ権益とそれに雇われた軍閥を国民党と日本が掃討するも、戦後対立が激化、そしてフラコミュは中国共産党を育成していた、みたいな設定で行こうかと思います。

*1:Orteとはドイツにおける村落レベルの共同体の名称。フランス語のcommuneのドイツ語訳。

*2:Gemeenteはcommuneのオランダ語

*3:正式にはCumann na hÉireannという。

*4:正確にはロシアが共産主義を名乗るようになったのは仏ソ対立が本格化した1960年である。このときロシアはサンディカリスト国家ではなくマルクスの正統な後継者たる共産主義国家を初めて名乗った。ウクライナ白ロシアなどはこれに続き、フラコミュの東欧政策は破綻した。

*5:正確には、WW2の途中でイタリアはムッソリーニを首班とする枢軸側のイタリア社会共和国とドイツ側のイタリア王国に分裂し、戦後のイタリアは通常イタリア社会共和国を意味する。

*6:ナイル川の拠点」という意味

*7:その名の通り、オーデル=ナイセ以東のプロイセンに住むドイツ人を主体とする。彼らの故郷は東西プロイセン、ポンメルン、上シレジアである。

*8:ノイプロイセン全体主義政党である凡プロイセン同盟の私兵。もともとはドイツ帝国の反動政党である凡ドイツ同盟を、WW2のドナウ占領下においてアフリカ植民の先兵となるべく元アフリカ総督ヘルマン・フォン・ゲーリングの指導下で再結成・改造したものである。民族防衛隊はWW2のロシア戦線に義勇兵を送ったほか、ノイプロイセンの黒人絶滅作戦を担った。

*9:サンディカリズムの国際組織。