翼賛体制

 翼賛体制とは、1940年に発足し1960年まで継続した大政翼賛会による支配体制を意味する。翼賛体制を打倒して成立した協和党政権では、翼賛体制は政治的・恣意的な意味付けを与えられ、特に大東亜戦争後の混乱した時代という意味も与えられた。ここでは翼賛体制を構成した大政翼賛会を中心に、その政治システムを解説していく。

f:id:kodai795:20220327030023p:plain
大政翼賛会のシンボル
  • 前史――大政翼賛会の成立と挫折
  • 戦後混乱期――自衛隊の登場
  • 再建の試み――富永政権の改革
  • 翼賛体制に対する批判
  • 翼賛体制に対する闘争
    • 道復運動
    • 選挙粛正運動
    • 宮城進軍事件
  • 翼賛体制についての補足
続きを読む

ワイマール協定

ワイマール協定とは、1946年7月に枢軸国軍占領下のワイマールで発せられた数か条から成る協定である。「ワイマール宣言」ともいう。

  • 背景
  • 協議内容
    • ドイツ問題
    • ロシア問題
    • イタリア問題
    • アフリカ問題
    • 歴史的意義
  • そして冷戦へ
f:id:kodai795:20220106215449p:plain
現在のワイマール市
続きを読む

協和党第1期党中央・内閣名簿

f:id:kodai795:20211018153938p:plain

 1960年春の宮城進軍事件で窮した岸内閣が退陣し、政権は明け渡された。しかし、この時点では政権を担うべき政党が存在せず、岸信介は政治空白による混乱と政権奪還を目論見て退陣したのだった。
 これに対し、倒閣を煽動した永仁親王重臣近衛文麿は急遽新内閣と新政党の設立へ向け工作を開始、ちょうど昭南で実力を積み総理大臣の座を狙っていた池田勇人と派閥「宏池会」を抱き込み、永仁親王のブレーン組織「新日本研究会」、近衛文麿人脈による在野政治家や大日本政治会の非主流派を集結させ、1960年6月に新党「協和党」が誕生した。それにともない、池田勇人による池田内閣が成立する。全体主義的な党国体制成立を日本でも急ぎ、協和党には指導的立場と内閣との共同歩調を与えたほか、満洲国協和会をモデルとした指導組織とブレーン組織が設置された。
 池田内閣は国政の収拾を急ぎ、民主的な選挙の実施を約束した。第1期の党中央は永仁や近衛、池田などの幹部の談合で決められているが、本来は予備選挙と本選挙を経ることと党規約に規定されている。池田は約束を守り、1961年6月に党員党友による予備選挙を実施、10月に本選挙と党大会を経て第2期へと改選した。
 ここでは、1960年6月から1961年10月までの協和党第1期における党中央人事と内閣人事について述べる。

  • 党中央
    • 中央指導委員会
    • 党中央機関
    • 党中央付属委員会
  • 内閣
続きを読む

冷戦期中国史(1946-1957)

  • 概要
    • 統治再編と剿共開始(1946-48年)
      • 戦争直後の中国
    • 政治協商会議
      • 剿共の開始と青年党事件
      • 憲政の完成
    • 内政への注力(1949−51年)
      • 蒙疆問題
      • 翁文灝の通貨改革
    • 国共内戦(1952−57年)
      • グルジャ国境紛争
      • 中原大乱
      • 新疆赤化
      • 三大会戦
      • 太原包囲戦
      • 混乱と亡命
  • 背景
f:id:kodai795:20211016130619p:plain
南京の総統府を占領した人民解放軍
続きを読む

太原包囲戦

太原包囲戦とは国共内戦における戦役の一つである。三大会戦に含まれないが、同様に大規模で特に日本にとって重要視された。日本軍が独断で支援し断乎抗戦したが、結局は解放軍の人海戦術の中に没した。太原の敗北は宮城進軍事件の遠因となった。

  • 前史
  • 太原の日本人
  • 戦闘の推移
  • 後日談と太原包囲戦の意義
続きを読む

大塚有章

大塚有章(1897-1976)は日本及び満洲帝国の政治家。「大塚反党集団事件」で知られる。満洲協和党第2、3期中央輔導委員(1955-1960、除名)、弘報部大臣(1955-1959)。

f:id:kodai795:20210827015707j:plain
満洲映画協会撮影所
続きを読む