根岸寛一

根岸寛一(1894-1962)は日本、満洲の映画プロデューサー。満洲映画協会理事。
f:id:kodai795:20210821200533p:plain

 茨城県出身、早稲田大学卒業。新聞社から映画界に転身し、マキノ満男と組んで数々のヒット作を世に送り出した。1934年に日活多摩川撮影所の所長に就任するも、1938年にサンディカリストとの烙印を押され退職、その後マキノ満男と渡満し、甘粕正彦の厚意で満洲映画協会の理事に就任する。結核と闘病しつつ、新国家満洲における臣民教化の目的のため、甘粕と国策映画の制作を指揮した。
 戦後は訪満したドナウ連邦宣伝啓蒙省職員らの知見にヒントを得、満映版のニュース映画として『満洲消息』制作を開始した。

魏鐸

魏鐸(1932-)は満洲帝国の映画撮影監督。満洲協和党員、満洲映画協会理事。
f:id:kodai795:20210821195403p:plain
 
 営口出身。関東軍の記録映画撮影を手伝ったことがきっかけで、1956年に満映へ入社。『雪中行軍』『三江平原』『長白山』など記録映画にて主として撮影監督を務める。1983年に『逆光』で満洲帝国の映画賞である「金蘭賞」を掴んだ。後、満洲協和党に入党し、満映理事となる。

雲南事件

雲南事件(中国語:云南大屠杀)とは毛沢東政権下の中国雲南省で起こった粛清及び動乱を指す。日本や国民党、タイ特務が活動していた雲南省はスパイ戦争の最前線と位置付けられ、多くの民衆がスパイとして弾圧された。

f:id:kodai795:20210809204445j:plain
毛沢東時代の雲南省
続きを読む

河合義一

河合義一(1872-1974)は日本の農民運動家、満洲の政治家。満洲協和党(協和会)浜江省蘭西県支部輔導者、党浜江省支部輔導者、全国連合協議会議員。
f:id:kodai795:20210701163136j:plain

 兵庫県出身、同志社中学、東京外国語大学仏文科を卒業し、日本銀行に入行。後に日銀を退職し帰郷する。
 故郷の高砂町会議員に当選し、農民運動に参加。小作争議にかかわり投獄されたこともあった。日本労農党を経由して社会大衆党に入り、1937年に衆院議員として初当選する。しかし1947年の東條政権において旧社大党議員は道復運動の咎で弾圧され、議員を辞職せざる得なかった。その後満洲に渡る。
 ちょうど大規模な国家改造期にあたった満洲では兵庫県出身者の開拓地がある浜江省蘭西県において協和会の支部輔導者を務め、党国体制成立による党の優位性により、地域の政治、経済、行政において民衆を牧民し、その民意を代表した。日本人開拓移民を中心に支持を得て1951年10月に第1届中央補導委員会発足に合わせ、党浜江省支部輔導者に就任。全国連合協議会メンバーにもなる。いずれも1955年10月まで務めた。