ドナウ連邦軍の戦車(更新中)
(戦車イラストは後から付けます……)
ドナウ連邦軍は世界でも有数の独自規格の戦車を生産する国だった。戦間期では大国のドイツ帝国が戦車の軍事的役割を軽視ししていたこととは対照的に、ドナウ連邦、フランスコミューン、ロシア共和国では戦車開発への支出が優先され、またその運用も革新的なものだった。ここではドナウ連邦軍が開発または運用した戦車を紹介する。
- 第一次世界大戦~1920年代
- 1930年代~第二次世界大戦
- ヴァーレチェニク系
- T-34
- T-38A
- T-38B
- T-38C
- T-38D
- T-42
- フサール系
- T-35A
- T-35B
- T-35C
- T-35D
- T-35E
- T-35F
- ヴォルフ・ラデツキー系
- T-40A
- ラデツキー
- ヴァーレチェニク系
戦間期フランスコミューン政治史(前編)
- 敗戦と新たな革命
- 「窮乏の時代」
- 中道の没落
- ド=ゴール立つ
戦間期ユーゴスラビア史(更新中)
ユーゴスラビア国王アレクサンダル1世。1934年に暗殺された。
ユーゴスラビアはオーストリア革命の混乱で誕生した南スラブ人の国家であり、独立に際してはイタリアの支援を受けていた。それにもかかわらず、ユーゴスラビアとイタリアにはダルマチアをめぐる一定の緊張関係があった。このことから戦間期ユーゴスラビアはドナウ連邦の脅威からイタリアに依存しつつも、その依存をドイツにシフトすることでバランスを保とうとした。
ユーゴスラビアは多種多様な民族で構成されているが、ユーゴスラビア政府はセルビア民族を贔屓し、クロアチア民族の不満は積もる一方だった。1929年にはクロアチア民族主義組織「ウスタシャ」が誕生し、ドナウ連邦を支援者に引き入れてベオグラードの中央政府に対抗した。
スロベニア人の大部分はドナウ連邦に居住していたが、ユーゴスラビアに逃れたスロベニア人の一部はゲリラを結成し、ドナウへの越境攻撃をしていた。ユーゴスラビア北部にあるヴォイヴォディナはオーストリア革命の結果ドナウとユーゴスラビアに分割されたが、そこでも民族的軋轢がくすぶっていた。
ドナウ連邦外務省が作成した南スラブの民族分布図。
1939年、ドナウ連邦はユーゴスラビアに侵攻しWW2が勃発した。ユーゴスラビアは電撃戦の前に一瞬で崩壊し、旧ユーゴスラビア西部にはウスタシャによるクロアチア国が誕生し、東部ではドナウ連邦によるセルビア総督府が誕生した。ブルガリアはこの混乱に乗じて国境を西へずらした。また、後にアルバニアがドナウ連邦に「解放」された際はアルバニアの領域が広がり、旧ユーゴスラビアに食い込む形となった。