フランチシェク・テウネル

フランチシェク・テウネル(František Teuner、1911-1978)はドナウ連邦の政治家。ローゼッカ青年団指導者。

ローゼッカ青年団を観閲するテウネル(1941)
 プラハより南にあるベネショフ出身。テウネル家は貴族の名家で、フランチシェクの洗礼の際はフランツ・フェルディナント大公も列席している。テウネルの将来は約束されていたが、オーストリア革命と二重帝国の崩壊はそれを打ち砕いた。
 新たに建国されたドナウ連邦においては政教分離が図られ、保守的なテウネル一家は危機感を覚えた。建国直後の土地改革は大した影響がなかったが、1929年の世界恐慌によりテウネル家は破産した。テウネルは政治に目覚め、ドナウ社会主義労農党に入党した。ちょうどこのころドナウ党はカトリックと接近していた。
 1935年にカレル大学医学部で博士号を取得し、ドナウ党青年組織である「ローゼッカ青年団」の医療部門に入団した。テウネルはローゼッカ青年団指導者バルトゥール・シーラッハのもとで働き、医療部門だけでなく勤労奉仕やスポーツなどを監督した。
 1940年にシーラッハがローゼッカ青年団の指導者を辞すると、テウネルがその後任となった。おりしも第二次世界大戦が勃発しており、テウネルはローゼッカ青年団員を戦争協力に回さざるを得なかった。徴兵による人手不足を補うべく、鉄道、消防、農場などに青年団員が投入された。1946年に戦争が終結すると、テウネルは指導者を辞し、南ボヘミア州指導者を1953年まで務めた。その後は公団や入植団体などの指導者に就任した。