ギュンター・シュワープ

ギュンター・シュワープ(Günther Schwab、1904-2006)はドナウ連邦の作家、政治家。

 プラハ出身のドイツ系。ドナウ連邦建国直後は銀行マンとして働いていたが、脱サラして林業を始めた。その後、イタリア、スペイン、フランス、アルジェリア、ドイツ、ポーランドを放浪し、1930年にドナウへ帰還した。帰国と同時にドナウ社会主義労農党に入党し、1931年に国民衛兵隊に入隊した。ドナウ党と国民衛兵隊は農本主義的な雰囲気があり、シュワープにとっては居心地がよかったという。
 同じくドナウ党員であり農本主義者のギュンター・シュレジンガー博士の影響を受けエコロジーに目覚め、1934年に大統領府林野局と鳥獣局(いずれも局長はヘルマン・ノイバッハー)が創設された際は森林局副局長となった。
 同時に文作も開始し、1935年に『Mensch ohne Volk(国民なきヒト)』でデビューした。その後『Abenteuer am Fluss(川の冒険)』『Der Windüberden Feldern(畑の向こうの風)』、『Kamerad mit haarigen Gesicht(犬の話)』、『Land voller Grande(恵みの地)』、『Das Glückam Rand(幸運の端)』といったエコロジー農本主義文学のほか、ラジオドラマの脚本を執筆し、人気を博した。さらに、1954年にはローゼッカ記念ドナウ人民文化賞を受賞した。
 1958年の『Der Tanz mit dem teufel(悪魔との踊り)』はアメリカやフランス・コミューンなどの産業公害を批難し、管理していない人口爆発が人類滅亡につながると指摘した。こうしたシュワープの作品は特にアフリカ植民地で人気であり、ノイプロイセンゲーリング元帥もシュワープの熱狂的なファンであると自称している。
 1962年の「ウィーンの春」で全体主義体制に疑問符が投げかけられると、シュワープのエコロジーも批難にさらされるようになった。1992年には新自由主義政策や工業化政策に対し「文化と白人種の衰退を生む」と反対の立場を取った。