ハインリヒ・ヒムラー

ハインリヒ・ヒムラー(Heinrich Luitpold Himmler、1900‐1977)はロシア、ドイツ帝国、ノイプロイセンの政治家。民族突撃隊大将、汎プロイセン同盟全国農業指導者。
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 バイエルン中産階級出身。WW1には従軍できず、対露干渉義勇軍に参加した。
 1923年には汎ドイツ主義に関りがある知識人のサークル、アルターマネンに所属し、翌年には汎ドイツ同盟に入党する。
 ロシア戦疫後、都市プロレタリアートとして没落し、1920年代にロシアのヴォルガドイツ人地域に移住し農業を始めた。ロシアでのヒムラー農本主義的性格を強めていたが、世界恐慌による穀物価格暴落でヒムラーが破産すると政治活動に傾倒するようになった。農民を都市生活追いやるユダヤ人を敵視し、さらにスラブ人農民を憎むようになった。
 1929年には汎ドイツ同盟ヴォルガ支部長、1934年にはロシア支部代表にまで出世した。ロシア議会議員にもなった。ロシア政府が反独傾向を強めるにつれて、ヒムラーは在露ドイツ人によるナショナリズムを煽り、対決姿勢を強めていった。1938年には逮捕されシベリアのアルタイへ流刑となったが、保守党に政権交代したドイツ本国の抗議によりドイツへ追放され、歓迎された。
 WW2ではヴァルミー作戦とドイツ本土陥落後も本土にとどまり、汎ドイツ同盟全国農業指導者に就任。ゲーリングに近い人物としてユダヤ人虐殺を支持した。ノイプロイセン建国に民族突撃隊将官として参加し、ノイプロイセン全国農業指導者となった。1977年に死去。