江上波夫

江上波夫(1906-2002)は日本の考古学者、帝大名誉教授。「騎馬民族征服王朝説」で知られる。
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 浦和高校出身、帝大文学部東洋史学科卒。1930年代より中国大陸での考古学調査に参加。1948年に帝大東洋文化研究所教授に就任し、1953年には当時のアジア主義的気風に合致した「騎馬民族征服王朝説」を公表した。宮城進軍事件後の1962年に同研究所所長へと政治的に推薦され就任。「主体維新」政権において同説は国家レベルで公認され、主体主義的な歴史観・人種観を肯定するものとして積極的に宣伝された。永仁皇太子への御進講もしばしば行われ、数多くの勲章を受賞した。

騎馬民族征服王朝

 江上の騎馬民族征服王朝説とは、神話の合理的解釈と考古学の成果、古代アジアの文献、形質人類学(人種論)を総合したものであり、当時の諸学問の結晶だったといえる。同説は、夫余民族の南下で誕生した朝鮮半島の諸王国が九州へ入植し、後に神武東征を果たす過程を説明しているが、むしろ当時政治的に重視されたのは日鮮同祖論を歴史的・人種的に証明した点だった。これは朝鮮半島満洲国を支配する政府の路線と都合が合い、同時に大東亜共栄圏建設で興隆していたアジア主義にも相反しなかった。
 また、このロマンがあふれる説は一般人による考古学や人種論への関心を広く呼び起こしたが、これは当時エリートに限られていた政治参加がファシズム運動で中間層に開かれた流れと並行している。そのため、同説は国民全体に広まり、同時に与党協和党は積極的に宣伝することでアジア主義に基づく「民族共生」路線を正当化した。さらには、日本人や朝鮮人だけでなく土着満洲族もまた同祖であり、それだけでなく、満洲国に入植した華北の満人(中国系住民)もまた満洲系の女真族の征服を受けた点で事実上土着満洲族の血を受け継いでいるので日鮮と同祖である、といった理論を構築するための歴史工作の直接的契機ともなった。
 しかし、国定史観として党及び政府の援護を受けていたため、同説に対する根本的反証は事実上禁じられてしまった。考古学者の佐原真(1932-2002)は騎馬民族征服王朝説に懐疑的な立場から江上との激論に至り、官憲の弾圧を経て内地から昭南に移住せざるを得なかった。
 漫画家の手塚治虫は『火の鳥』制作の際に同説を採用した。また、歴史文学作家の司馬遼太郎は江上を「最も敬愛する人」と呼んだ。