エンゲルベルト・ドルフース

エンゲルベルト・ドルフース (Engelbert Dollfuß、1892-1982)はドナウ連邦の政治家。
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 小オーストリアのテクシングで誕生。敬虔なカトリックとして育った。WW1ではイタリア戦線で従軍したのち、1918年のオーストリア革命後はウィーン大学に入学。そこでアルトゥル・ザイス=インクヴァルトやヘルマン・ノイバッハーなどの後のドナウ党幹部らと知り合った。
 ドナウ連邦ではオーストリア共和国農務省で働き、同共和国を牛耳っていたキリスト教社会党に入党することで、1931年3月にオーストリア共和国農務大臣に就任した。当時キリスト教社会党では急成長しているドナウ社会主義労農党について意見が分かれていたが、ドルフースは農本主義の観点からドナウ党に協力するグループにおいて指導的立場に立った。また、オーストリア共和国議会における憲法改正投票反対派を抑え、ドナウ党議員ヴィルヘルム・ヴォルフを国民投票担当無任所大臣に据えている。
 さらに、分権的なドナウ連邦の統治体制を批判していたことから、ドナウ党との距離は徐々に近づいていた。ドルフース自身はローゼッカをよく思っていなかったが、ドルフースの信念に基づく政治的選択は結果的にドナウ党への恩を作る形となり、ローゼッカ権力掌握後に中央政界入りを果たした。
 新設された中央団体「ドナウ農業技官同盟」の指導者のほか、ドナウ農民同盟の幹部にも就任した。ドルフースはドナウ農政において農本主義者として活躍しただけでなく、農本主義ロマン主義に結びつけることで、イデオロギー的な意味を与えた。また、農業政策に関する論文を何本か執筆した。
 戦後、新設された「大統領府農業イデオロギー委員会」の委員長に就任し、ドナウの農業政策を完全に支配するに至った。連邦保安省による政変が起きた1956年に辞任し連邦議会議員となった。