ミレ・ブダク

ミレ・ブダク(Mile Budak、1889-1953)はクロアチアの政治家、クロアチア保護領宣伝・文化大臣。

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ミレ・ブダク宣伝・文化大臣。右は1932年の暗殺未遂事件の際。
 サラエボ大学で法学を修め、ウスタシャに参加した。1932年にセルビア人による暗殺未遂に遭った。
 1939年にクロアチア保護領における宣伝・文化大臣に就任し、セルビア人への憎悪を煽るプロパガンダを行った。ラジオから連日流れるアジ演説に触発されて、セルビア人を襲撃したクロアチア人は少なくなかった。また、かの有名な「セルビア人の三分の一は殺し、三分の一は追放し、三分の一はカトリックに改宗させる」は彼によるものである。
 こうして虐殺を煽った大臣ということから、「強制収容所で直接セルビア人を射殺した」という根拠のない噂まで流れ、最終的に「マシンガン付き宣伝大臣」なる渾名をクロアチア人からつけられた。
 虐殺がより激しくなり、治安が悪化するとブダクはアンテ・パヴェリッチ指導者に問題視されて1941年初めに罷免された。
 戦後は、事実上の外務大臣である駐ウィーン大使に1948年に就任し、1953年に心臓発作で急死するまでこれを続けていた。
 また、ブダクは小説家でもあり、クロアチアの独立自営農民を称賛する詩や小説などを書いていた。これらの作品はパヴェリッチ支配下クロアチア保護領で教科書に採用され、読むことを推奨された。しかしその内容の文学性や完成度などに関しては、後世否定的な批評がなされている。