イギリス連邦

イギリス連邦Commonwealth of Nations)とは、旧大英帝国の一部からなる主権国家の連合である。
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歴史

 「世界帝国」イギリスは、19世紀以来自由貿易政策により自国産業が衰退し、アメリカやドイツなどの追い上げを許してしまっていた。さらに、WW1ではイギリス本土だけでなくカナダやオーストラリアなどの自治領(ドミニオン)の兵力を動員せざるを得ず、戦後、彼ら自治領の政治的立場を高めたのは当然の結末だった。
 1926年の帝国会議*1で作成された「バルフォア報告書」でイギリスと各自治領の対等関係が明記され、これを基に1931年には「ウェストミンスター憲章」が生まれた。憲章では自治領に外国権を正式に認め、各自治領においてイギリス国王への忠誠をもって団結するという、国家連合への改組を示すものだった。このようにして生まれたのがイギリス連邦である。
 しかし、特にカナダにおいてはアメリカ内戦といった国際情勢の緊迫化に伴い、再びイギリス本国と接近する動きも見られた。イギリスとカナダは内戦の各勢力をいずれも脅威とみなし、様々な工作を展開してお互いに消耗させる策を取った。対米国境にはイギリス軍が展開し、開戦以前からマッカーサー軍に飛行場の使用許可を与え、カナダからの対サンディカリスト国爆撃を黙認していた。サンディカリスト国との開戦後は、作戦上の観点からカナダ軍とイギリス軍はより密接に融合していった。
 1946年7月にフランスの「リヨン・ド=メール作戦」でイギリス本土が陥落すると、イギリス本土の政府機構、王族、貴族、難民、軍隊がカナダに一気に押し寄せてきた。戦後のフランスとの捕虜交換*2もあり、まさにイギリスはカナダに「引っ越し」する形となった。
 戦争終結の混乱のなか、レイキャビク休戦協定に基づき旧大陸側のイギリス連邦の領域は枢軸国または現地勢力の支配に入り、自動的にイギリス連邦から消滅した。くわえて、オーストラリアとニュージーランドニューギニアや太平洋の島嶼部は、クーデター的な形で「オーストララシア」の成立と共和制を宣言した。オーストララシアは結局イギリス連邦を離脱しなかったが、これがきっかけに1949年の「オタワ宣言」でイギリス国王への忠誠は条件から外されることとなった。また、南アフリカは共和制宣言と同時にイギリス連邦離脱を宣言した。
 こうして、冷戦時代においてイギリス連邦とはカナダやオーストララシアなどを意味し、一方でオーストララシアの共和制を考慮して、イギリス連邦から「英連邦王国」という概念が分離された。イギリス連邦の構成国のうち、イギリス国王に忠誠を誓っている国々を指している。海外においては一般に「イギリス」という場合英連邦王国を指している。
 冷戦が激化すると、イギリスは再び富国強兵の必要に迫られ、またイギリス連邦枠内でのポンド・ブロック貿易圏の再構築が問題となった。英連邦王国はもはやほとんどカナダしか支配していなかったため、カナダを中心に据えて発展的に強力な英連邦王国政府と議会を構築した。英連邦王国政府と議会は主権国家の連合を束ねながら、擬制的な主権国家としてふるまっていた。英連邦王国議会は各自治領と旧イギリス上院を基にしており、政治的な力関係を基に議席が配分され、半分は旧イギリス議会、もう半分のうちほとんどをカナダ人が占めた。さらに、1959年に加盟国間の相互防衛条約「モントリオール条約」が締結され、集団安全保障体制が成立した。
 また、カナダといった各自治領内部でも主権レベルの改革が行われた。カナダでは戦争に際し献身的活躍を見せたケベック州自治領内部の「自治国」として部分的主権を与えられた。旧アメリカの領土を併合した地域に関して、例えばニューイングランド参政権付与と引き換えに単独で自治国となり、旧オレゴン州、旧ワシントン州においてはバンクーバー州とともに「カスカディア自治国」となった。これは、旧アメリカ地域の人口がカナダと旧イギリス難民の人口を上回ることを恐れたためである。ニューファンドランドは財政的負担が限界となり、自治領からカナダ内部の自治国へ自ら格下げした。これら改革は1950年の「ボストン憲章」で承認され、同時にポンド・ブロックの復活が宣言された。また、このころになると自治領ではなく、単に「カナダ政府」などと呼ばれるようになった。
 ポンド経済圏の運営は新設されたイギリス連邦事務局が行うこととなったが、事実上英連邦王国政府が支配を握っていた。オーストララシアはこれに反発し貿易量を制限したが、産業に恵まれないオーストララシアは多少の障害はあれど結局ポンド経済圏に従属せざる得なかった。

イギリス連邦の構成

英連邦王国

グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国
 敗戦以来事実上の主権を有していないが、ブリテン島における支配の正統性を示すために王位、称号、議会、政府は形式的に残っている。
・カナダ王国
 英連邦王国の事実上の幹部をなす。制限された行政権と独自の小規模な軍事組織が認められている自治国として、ケベックニューファンドランドニューイングランド、カスカディアがある。
西インド連邦

英連邦王国に含まれないイギリス連邦加盟国

・オーストララシア

英連邦競技大会

 イギリス連邦は英連邦競技大会(コモンウェルス・ゲームズ)と呼ばれる国際スポーツ大会を四年に一度実施している。これはWW2とともに消滅した国際スポーツ大会「オリンピック」のイギリス連邦版で、フランスやソ連ではスパルタキアーダ、ドナウではヨーロッパ競技大会(オイローパ・シュピーレ)、日本では東亜競技大会などと同様、冷戦における勢力圏の統合だけでなく、他陣営の競技大会と同時開催することで、事実上オリンピックと同じような役割を果たしていた。

*1:自治領と本国による定期的な会議

*2:アメリカ・サンディカリスト国の捕虜と、イギリス軍の捕虜や占領下ブリテン島の住人を交換するというもの。サンディカリスト国の捕虜の多さだけでなく、フランス側の飢餓という状況もあって数百万人が交換されることとなった。