ミロスラフ・レフツィーグル

ミロスラフ・レフツィーグル(Miloslav Rechcigl Sr.、1904-1973)はドナウ連邦の政治家、農本主義者。
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 プラハ郊外のチェツニェヨヴィツェ(ドイツ語名:コッツニオヴィッツ)出身。商業高校を卒業して父の農場を相続し、製粉業者組合で活動していた。
 「ドナウ農業者組合中央連盟」中央委員であり、チェコスロバキアの農民政党「農業党」に所属していたが、世界恐慌以降同党がドナウ党と連携したため左派連立内閣の農業大臣のポストを得、さらに連邦議会の農業委員会委員に就任した。
 世界恐慌による穀物価格暴落で発生した飢饉の際は各地を狂奔、またハンガリーにおける分割相続制を批判し、農業形態の改革、長子相続農地普及を提言した。
 ローゼッカ権力掌握後はDSABP従属の農民団体である「ドナウ農民同盟」指導者となる。食糧局の要求に応え生産計画を練り、実行した。1964年に定年を理由に辞任。辞任後は、東アフリカのゲジラ地帯*1にある灌漑農業を支援すべく、同地農民団体の顧問となった。

*1:ハルツーム南にある、青ナイルと白ナイルにはさまれた地帯。戦前から灌漑事業が行われ、戦後は一部ドイツ人が入植し「ニールスマルク」と呼ばれた。