アントニーン・ネラト

アントニーン・ネラト(Antonín Nerad、1899-?)はドナウ連邦の軍人、処刑執行官。
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 ネラトはプラハ出身のチェコ人で、ドナウ社会主義労農党支持者の兵卒だった。本来は中立たるべき軍人でありながら、政治活動をしたとして不名誉除隊し、ドナウ党に入党した。
 1933年にドナウ党指導者アレクシス・ローゼッカが権力を掌握すると、議会制時代の邪魔な政治家たちを排除するため、彼らの疑獄を追求する「革命裁判所」が設立された。革命裁判所により、ドナウ連邦を支配していた、ドナウ党に批判的な議会制政治家たちを抹殺することができた。例えば、ヨゼフ・コルマンは実際に無期懲役刑が判決され強制収容で死亡し、カール・ブレシュは革命裁判所の尋問に耐えきれず自殺している。
 アントニーン・ネラトはこの革命裁判所において、警護や処刑などを担う「革命裁判所衛兵隊」の隊長に任命された。階級は保安大尉である。そして、この革命裁判所衛兵隊において、ネラトは処刑の際に銃殺の号令をかけたり、囚人から「最期の言葉」を預かる役目があった。基本的に、処刑はウィーンの革命裁判所本部ではなく、ウィーン郊外にあるハイムダウタール処刑場で行われた。
 ネラトは黙々とこの仕事を定年まで続け、60歳になった1959年に退職した。ネラトは報復を恐れてアフリカのノイプロイセンに移住した、という情報もあるが真偽不明である。いずれにせよ、ネラトは姿を隠したため、彼の人生に関する詳しいことはよく分からない。