レーシャ・ペトリューラ

レーシャ・ペトリューラ(Леся (Лариса) Симонівна Петлюра; 1911-1941)はフランス、ウクライナの詩人。シモン・ペトリューラの娘。
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 1911年に革命家シモン・ペトリューラと妻オリガのもとで、モスクワで誕生。オリガは夫の影響を受け、レーシャの教育はウクライナ語で行い、ウクライナの民謡を聞かせ、ウクライナの伝統衣装を常に着せていたという。
 ウクライナ人民共和国の崩壊で両親とともに命からがらフランスに逃れた。
 レーシャは詩人としての才能を開花させ、ウクライナ語とフランス語で詩作を行った。テーマは主にヨーロッパ各地の文化、風俗、伝統衣装であり、旅行をするとこれらについて詳細にメモを残し、詩作の資料とした。
 パリ第三大学を卒業し、出版会社に勤務した。ちなみに、大学在学中の1929年にミキータ・フルシチョウと偶然知り合い、父シモンに紹介している。これがフルシチョウとペトリューラの交友の始まりとなった。
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 繊細な感性の持ち主だったが、病弱だった。1941年11月16日、戦争で慌ただしい冬のキーウにて結核で死去した。戦争中だったこともあり、葬儀は簡素に行われた。
 彼女の作品はソ連だけでなく、フランスにおいても親しまれた。仏ソ対立時にも関わらず、1960年にはパリに「レーシャ・ペトリューラ通り」が名づけられた。

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左は幼少のレーシャと母オリガ

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