カール・ヘルマン・フランク

カール・ヘルマン・フランク(Karl Hermann Frank、1898-1980)はドナウ連邦の政治家、州指導者、保安指導者。
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 1898年、西ボヘミアにてドイツ系の家庭に生まれる。いわゆるフェルキッシュ運動に若いころから参加し、学生のワンダーフォーゲルや農業奉仕などに精を出した。
 WW1後は公務員として働いていたが、1932年に退職し書店を設立する。これと同時にドナウ社会主義労農党に入党した。また、公務員時代にドナウ連邦チェコスロバキア共和国の地域政党である「ドナウ人民党」に所属していたという説もある。
 ドナウ党チェコスロバキア支部の宣伝指導者に抜擢され活躍、この功で憲法改正後はアレクシス・ローゼッカ大統領により北ボヘミア州指導者に任命された。同時に、ドナウ党が掌握した連邦議会議員にもなった。
 1939年に連邦保安省が政治警察と刑事警察の統合を行い「連邦保安・警察総司令部」を創設すると、フランクは北ボヘミア州の同司令官に就任した。1940年にドナウ連邦軍がドイツを占領すると、1941年から1942年にかけて「南ドイツ・スイスにおける連邦保安・警察上級司令官」を務めた。
 戦後は連邦保安省出身議員(保安省閥)の台頭を容認していたが、特に役職は与えられず北ボヘミア州指導者止まりだった。情勢が不安定化していた1962年に「引退」を宣言し第一線から退いた。1980年にプラハで病死した。最終階級は保安大将。