ルートヴィッヒ・ドラクスラー

ルートヴィッヒ・ドラクスラー(Ludwig Draxler、1896-1972)はドナウ連邦の弁護士、政治家、フェデバンク総裁。

 オーストリア革命ではキリスト教社会党系のフライコールに参加した。その後弁護士を開業し連邦軍関連の案件を中心にこなしていた。キリスト教社会党からオーストリア共和国議会に立候補し、1932年にオーストリア共和国財務大臣に就任した。ドラクスラーはクルト・シュシュニクとともにドナウ党に近い政治家である。
 1933年にドナウ社会主義労農党に入党し、保安指導者であるシュシュニクの推薦で中央銀行フェデバンクの総裁に任命された。フェデバンク総裁としては異例にして銀行出身者ではなく、ドラクスラーは四苦八苦しつつドナウ連邦の経済再建を指揮した。経済計画局に従い紙幣を大量発行し、国債と預金を強制交換したことで、全国の銀行から苦情が集まった。くわえて、経済学者ヴァルガ・イェネーを中心とする経済計画局による上からの圧力で板挟みとなり、総裁任期が満了した1937年に辞任した。後任はヴァルガ・イェネーである。
 その後ドラクスラーは公共生活省に入り流通や生産などの業務に携わり、指導力を発揮した。WW2においてはドナウ連邦に併合された南ドイツにおける企業の整理を指揮している。
 戦後は引退し弁護士業務を再開した。