ドナウ連邦の統治体制(更新中)
臨時政府(1918-1920)
第一憲法体制(1920-1933)
オーストリア臨時政府を発展させる形でドナウ連邦は誕生し、それに伴い1920年に憲法が制定された。女性参政権や社会保障などを定めた進歩的な憲法であり、当時のオーストリア臨時政府において勢力を誇っていた小オーストリア、チェコスロバキア、ハンガリーの連邦とした。小オーストリア、チェコスロバキア、ハンガリーは連邦の下にある共和国として強大な権限が保障されたが、これは当時のドナウ連邦が諸勢力の寄り合い所帯だったことが原因である。このドナウ連邦の地方分権制は後々弊害を招くこととなった。
議会は下院と上院があり、下院は人口比に基づく比例代表制で選出され、上院は各共和国議会から選ばれた同数の代表が集まり構成される。議会の優劣は下院にあるが例えば組閣に際し上院の承認が必要であり、しばしば国政遅滞の原因となった。下院の比例代表制においては少数党乱立の弊害を防ぐ最低得票率制限は定められなかった。このことからドナウ連邦建国から年を経るにつれて少数政党が下院を占め始めた。
下院で選出され上院で承認された閣僚委員会は内閣を構成し、下院から選出された大統領が形式的に承認しはじめて組閣される。第一憲法体制の大統領はあくまで国家元首としての形式的な面しか持っておらず、軍の指揮権は首相にあった。
ローゼッカ憲法体制(1933-1949)