ドナウ連邦の行政区分

途中ですがどうぞ。

ドナウ連邦第一憲法時代(1920-1933)

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第一憲法時代の行政区分。ハンガリー共和国チェコスロバキア共和国の境はドナウ戦争における停戦ラインを微調整したものであり、民族分布は考慮されていない。

オーストリア共和国(行政府の位置:ウィーン)
チェコスロバキア共和国(プラハ
ハンガリー共和国ブダペスト

ドナウ連邦第二憲法時代からWW2終結まで(1933-1946)

 ドナウ連邦第二憲法では、ドナウ連邦の行政区分を共和国、州、郡、市町村、そして特別市と規定している。過剰な自治権が問題となった共和国制度は完全には廃止されなかったが、法律上はかなり骨抜きにされた他、1946年のドナウ連邦リビア共和国の誕生までしばらく共和国という地方行政区分は姿をひそめた。共和国内閣と州知事の人事に関して連邦大統領(ローゼッカ)が完全な権限を持っており、郡や市町村の首長は住民投票で選ばれるがドナウ社会主義労農党員であることが必要だった。
 自治体の持つ行政権は憲法改正で縮小された。例えば第一憲法時代各共和国は強力な警察を有していたが、第二憲法における州は形式上警察を有するが、交通警察などの政治的に無力なものに限られた。刑事警察は州も有していたが、凶悪犯罪は内務省直轄の連邦刑事警察(Fedekripo:フェデクリポ)が担った。また第一憲法における共和国は議会が選出する内閣を有したが、第二憲法における内閣はローゼッカ大統領が指名する。こうして反中央的な勢力が地方に現れることを防ぐ狙いがあった。*1
 特別市はウィーン、プラハブダペスト、プレシュブルクの4つ(当時)であるが、特別市はある程度の政治的独立性を有していた。例えば、州は州内の特別市から徴税することができず、特別市は独自の警察を整備できた。これはドナウ社会主義労農党が権力を掌握し、地方権力を削るうえでの妥協の産物である。ドナウ社会主義労農党は同党員を特別市の議会に送り込んで行政を掌握したが、プラハ市議会は唯一ドナウ党議員が過半数に届かなかった稀有な例である。*2

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第二憲法時代初期の行政区分。

特別市

ウィーン特別市*3
ブダペスト特別市
プレシュブルク特別市
プラハ特別市

ボヘミア地域*4

中央ボヘミア州(プラハ特別市)
南ボヘミア州(ピルゼニ)
ボヘミア州(アウスィヒ)
ボヘミア州(パルドゥヴィツェ)*5

モラビア地域

モラビア州(オルミュツ)
モラビア州(ブリュノ)

シレジア地域

シレジア州(トロッパウ)

オーストリア共和国地域*6

オーストリア州(ウィーン特別市)*7
オーストリア州(リンツ
シュタイアマルク州(グラーツ
ケルンテン州(クラーゲンフルト)
ザルツブルク州(ザルツブルク
チロル州(インスブルック
フォアールベルク州(フォアールベルク)*8*9
クライン州(リュブリャナ
イストリア州(トリエスト)*10

ハンガリー地域

西タトラ州(ジリナ)
東タトラ州(プレショフ)
南タトラ州(バンカービストリッツァ)
ヴァーフ州(プレシュブルク特別市)
イペル州(ノヴェーザームキー)
上トランスダヌヴィア州(ジェール)
下トランスダヌヴィア州(セーケシュヘフェールヴァール)
ヴァシュザラ州(ソンバトヘイ)
ラニャ州(ペーチ)
ペシュト・ピリシュ・ショルト・キシュクン州(ブダペスト特別市)*11
カルパチア州(ムンカーチ)
上ティサ州(カッサ)
下ティサ州(ソルノク)
北アルフェルド州(デフレツェン)
南アルフェルド州(セゲド)
バナチア・ヴォイヴォディナ(サバトカ)

トランシルヴァニア地域*12

トランシルヴァニア州(コロシュヴァール)
トランシルヴァニア州(ナジセベン)
トランシルヴァニア州(クロンシュタット*13

バナト地域*14

冷戦時代(1946-)

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WW2後のドナウ連邦本土。このほかにもリビアアナトリア半島に領土があった。

追加・新設された行政区分は以下の通り。
バイエルン州バイロイト
バイエルン州ミュンヘン
シュヴァビア州(アウグスブルク
フランキア州(ニュルンベルク
フランクフルト・マインフランキア州(フランクフルト)
ヴュルテンベルク州(シュトゥットガルト
バーデン州(カールスルーエ

コトル特別州(コトル)
キリキア共和国
リビア共和国(トリポリ
モルジビア共和国(マレ)

*1:しかしながら、第二憲法初の共和国であるリビア共和国では、先述のような仕組みにもかかわらず人事権を事実上国民衛兵隊が有していた。ドナウにおいて法よりも武力が物を言うことを示す一例である。

*2:独立系地域政党の連合が過半数を占めていたが、普段はドナウ党に表面上は協力的な姿勢を示していた。さもなければ彼らは保安省により粛清されかねなかった。

*3:1940年よりバルトゥール・シーラッハが市長を務めた。

*4:ドナウ連邦の地方行政上「~~地域」は歴史的文化的な慣例的区分であり法律上の意味をなさない。しかしながら、中には文化的民族感情を刺激しかねない事例があり、それは「スロバキア地域」や「チェコスロバキア地域」などである。旧チェコスロバキア共和国のスロバキア地域をチェコスロバキアに含めるかハンガリーに含めるか否かは両文化的民族感情を刺激する問題であり、ドナウ党でさえも公式見解の発表をせず長年曖昧のままである。

*5:1935年にズデーチア州に改名。同州北部にあるズデート山脈(ドイツ語:ズデーテン、チェコ語:ズデートィ)に由来。

*6:WW2でバイエルンをはじめとする南ドイツを併合した後、上下オーストリア州を除く州を「アルプス地域」とする意見もある。

*7:1940年よりバルトゥール・シーラッハが知事を務めた。

*8:ドナウ最西部のアルプス山脈の辺境にあるこの大変小さな州は、二重帝国時代のチロル領フォアールベルクに由来する。他の州と比較してあまりにも小さいため1937年に隣にあるチロル州と合併した。

*9:史実では何とWW1末に現地議会が西隣にあるスイスへの編入を決議したらしい。もしかしたらオーストリア革命の混乱でスイスに併合され、1930年代後半にフラコミュとドナウがスイスを分割する口実になる――という新設定ができるかも。

*10:二重帝国におけるキュステンラントに当たるこの地域は、ドナウの太平洋への出口であるリエカ港を含むイストリア半島を管轄している。しかし実際には同地の8割はWW2までイタリアが実効支配しており、州都のトリエストでさえイタリアの支配下にあった。こういった背景から同州の行政は1940年に「解放」されるまで隣のクライン州が代行していた。

*11:現地語では「ペシュトピリショルトキシュクン」が発音的に近い。

*12:これら州は1938年にルーマニアから同地域が割譲された結果誕生した。

*13:1944年にドナウ語化し「コロナポリ」に改名

*14:バナトは本来各民族が混住した地域で、オーストリア革命の結果南部をユーゴスラビアが、北部をドナウが占領し停戦した。1939年に勃発したWW2でこの地域は真っ先にドナウ軍に「解放」され、同年設立した国民衛兵隊が主導する「ヴォイヴォディナ民政府」を経て1944年にバナチア州が設置された。これに伴い同地域に居住していた南スラブ人、ルーマニア人、ロマなどは追放または強制労働の憂き目に遭った。