オットー・ユッヒ

オットー・ユッヒ(Otto Juch、1876-1964)はドナウ連邦の政治家、官僚。

 法学博士。1909年に大蔵省に入省する。世界恐慌を受けドナウ経済が危機に瀕すると、キリスト教社会党の主導でユッヒはオーストリア共和国財務大臣に就任した。連邦政府(内閣は左派連立内閣)が反対するなか強硬な緊縮政策を断行した結果、公務員給与は5%削減され、人員削減がなされた。この時発生した失業者はそのままドナウ社会主義労農党の支持者となった。地方銀行の救済は成功し、いくつかの銀行が合併したものの連鎖倒産は防がれた。1931年に罷免された。後任はヨーゼフ・コルマン。
 息子のヘルマン・ユッヒはオペラ歌手として名高い。

カール・ハートレプ

カール・ハートレプ(Karl Hartleb、1886-1965)はドナウ連邦の政治家。ドナウ農民同盟の指導員。

 農家出身。1920-27年にオーストリア共和国の議員を務め、農民団体である「土地同盟(Landbund für Bundesreich)」の指導部の一人だった。1932年に農業改革について議論する「農地整理委員会」の委員となり、ドナウ党の政権掌握後はドナウ農民同盟の州農業指導者*1を務めた。

*1:州政府を補佐する農業部門の長。

フェリックス・フランク

フェリックス・フランク(Felix Frank、1876-1958)はドナウ連邦の司法官僚、政治家。
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 法学博士。司法省の官僚出身で、大ドイツ人民党の指導部の一人。1933年の権力掌握の際は既に政界を引退していたこともあり、特に弾圧されなかった。1925-28年に駐ベルリン大使。趣味は刑事小説を書くことであり、ローゼッカ政権下で成立した言論統制団体である連邦著述家本部の名簿にはフランクの名前が見られる。

ヴァルター・ブライスキ

ヴァルター・ブライスキ(Walter Breisky、1871-1944)はドナウ連邦の政治家。
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 元文部官僚のキリスト教社会党員。1920年代の政党政治家で、オーストリア共和国の文部大臣を務めた。1944年に敵国のラジオ放送を聴いていたと家政婦に密告され、銃殺された。