オットー・ユッヒ
オットー・ユッヒ(Otto Juch、1876-1964)はドナウ連邦の政治家、官僚。
法学博士。1909年に大蔵省に入省する。世界恐慌を受けドナウ経済が危機に瀕すると、キリスト教社会党の主導でユッヒはオーストリア共和国財務大臣に就任した。連邦政府(内閣は左派連立内閣)が反対するなか強硬な緊縮政策を断行した結果、公務員給与は5%削減され、人員削減がなされた。この時発生した失業者はそのままドナウ社会主義労農党の支持者となった。地方銀行の救済は成功し、いくつかの銀行が合併したものの連鎖倒産は防がれた。1931年に罷免された。後任はヨーゼフ・コルマン。
息子のヘルマン・ユッヒはオペラ歌手として名高い。
フランツ・ディングホーファー
フランツ・ディングホーファー(Franz Dinghofer、1873-1956)はドナウ連邦の政治家。
フェリックス・フランク
フェリックス・フランク(Felix Frank、1876-1958)はドナウ連邦の司法官僚、政治家。
法学博士。司法省の官僚出身で、大ドイツ人民党の指導部の一人。1933年の権力掌握の際は既に政界を引退していたこともあり、特に弾圧されなかった。1925-28年に駐ベルリン大使。趣味は刑事小説を書くことであり、ローゼッカ政権下で成立した言論統制団体である連邦著述家本部の名簿にはフランクの名前が見られる。