戦間期ポーランド史

ユゼフ・ピウスツキ。ポーランド国防軍の司令官で、1926年にクーデターを起こし「元帥」として支配した。この「サナツィア体制」はフランスのドゴール体制のモデルとなった。

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戦間期ユーゴスラビア史(更新中)

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ユーゴスラビア国王アレクサンダル1世。1934年に暗殺された。

 ユーゴスラビアオーストリア革命の混乱で誕生した南スラブ人の国家であり、独立に際してはイタリアの支援を受けていた。それにもかかわらず、ユーゴスラビアとイタリアにはダルマチアをめぐる一定の緊張関係があった。このことから戦間期ユーゴスラビアはドナウ連邦の脅威からイタリアに依存しつつも、その依存をドイツにシフトすることでバランスを保とうとした。
 ユーゴスラビアは多種多様な民族で構成されているが、ユーゴスラビア政府はセルビア民族を贔屓し、クロアチア民族の不満は積もる一方だった。1929年にはクロアチア民族主義組織「ウスタシャ」が誕生し、ドナウ連邦を支援者に引き入れてベオグラード中央政府に対抗した。
 スロベニア人の大部分はドナウ連邦に居住していたが、ユーゴスラビアに逃れたスロベニア人の一部はゲリラを結成し、ドナウへの越境攻撃をしていた。ユーゴスラビア北部にあるヴォイヴォディナはオーストリア革命の結果ドナウとユーゴスラビアに分割されたが、そこでも民族的軋轢がくすぶっていた。

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ドナウ連邦外務省が作成した南スラブの民族分布図。

 1939年、ドナウ連邦はユーゴスラビアに侵攻しWW2が勃発した。ユーゴスラビア電撃戦の前に一瞬で崩壊し、旧ユーゴスラビア西部にはウスタシャによるクロアチア国が誕生し、東部ではドナウ連邦によるセルビア総督府が誕生した。ブルガリアはこの混乱に乗じて国境を西へずらした。また、後にアルバニアがドナウ連邦に「解放」された際はアルバニアの領域が広がり、旧ユーゴスラビアに食い込む形となった。
 

ドナウ連邦の統治体制(更新中)

  • 臨時政府(1918-1920)
  • 第一憲法体制(1920-1933)
  • ローゼッカ憲法体制(1933-1949)
    • 省庁一覧
      • 大統領府直属
      • 閣僚委員会委員直属
  • グロス憲法体制
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戦間期ドイツ帝国政経史

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Kaiserreichでの設定をもとにしています。

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『ドナウ連邦建国史』用語解説集(更新中)

『ドナウ連邦建国史』は扱っている内容の壮大さだけに特殊な用語が多く、読者を混乱させることも珍しくない。というわけでここに少しずつであるが用語解説を載せていく。ただし兵器や人物に関してはまた別の場所で解説したいと思う。

  • あ行
  • か行
    • 革命的社会主義者
    • ガリ青年団
    • ガリレイサークル
    • 公共生活省
    • 公団
    • 公団指導者
    • 国営ドゥカ生活店公団
    • 国営ドナウ余暇公団
    • 国営公共建設公団
    • 国民衛兵隊
    • 国民衛兵隊憲兵
    • 国民衛兵隊情報局
    • 国民衛兵隊調査局
    • 国有傷病基金信託公団
    • 国有善隣基金信託公団
  • さ行
    • シュコダ
    • 生産指導者
    • 『戦闘車両の戦争』
    • 宣伝啓蒙省
  • た行
  • な行
  • は行
    • 東アフリカ社会連邦
    • バナト
    • フランス人民軍
    • 防衛指導者
  • ま行
  • や行
  • ら行
  • わ行
  • アルファベット・その他
    • 『Maréchal, nous voilà !』
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